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「倭人」のルーツ② インド〜中国編

インドで「ヴァイシャ=商人」となった「大売人=ウバイド」であるが、彼らは商人なのだから、当然ながら商売相手を探して各地を行商して歩いた。

そのうちの一団が中国に定住し、「殷王朝」を建設したのではないだろうか。


殷(イン)は、紀元前17世紀頃〜紀元前1046年の古代中国の王朝である。

文献には夏王朝を滅ぼして王朝を立てたとされ、中国において考古学的に実在が確認されている最古の王朝である。

その殷の遺跡である殷墟から出土した甲骨文字から、殷の都は「商」または「大邑商」と呼ばれ、殷の後に王朝を立てた周は、殷の都を「商邑」と呼んでいる。

商の名前は、殷王朝の祖・契が商の国を領地として与えられ、公爵に封じられたとあるのに由来するとされているが、この「商」の国の人々は安価で購入した物資をその物資に乏しい別の場所で高価で売却して差益を稼いだので、以後物を売って利益を得、それを生業とする人を「商人」と呼ぶようになったと言われる。

これはインドのカースト制において「ヴァイシャ」と呼ばれた人々と全く同じである。

また、「利益を得る」の「得る」は「ウル」または「エル」と読んでいるが、これは「大売人」の出身地である「ウル」、「テル・エル・ウバイド」の「エル」と発音と同じだ。

さらに「殷人」と書いて「倭人=ウワイト・ウバイド」と同じく「人=ト・ド」と読めば、「殷人=イント・インド(印度)」となるのだ。



また契が商の国を領地として与えられのは、黄河の治水に貢献してそれが評価されたためであるが、「インダス文明」では、焼き煉瓦を用いて街路や用水路・浴場などを建造し、一定の計画にもとづいて都市を建設する特徴がある。

これから思うに、中国の「黄河文明」には焼き煉瓦などを用いて用水路などを建設する「治水・建築技術」が元々備わっていなかったのではないだろうか。

この技術を中国にもたらしたのが、インドから中国に交易に来てそのまま定住した「大売人=ウバイド」達であり、殷王朝の祖・契であったのではないか。

つまり契は、中国にはなかった当時の最先端技術を夏王朝に伝えたのだ。

そうでなければ、いかに契が治水事業に貢献したとは言え、国を与えられて王に次ぐ爵位である公爵に封じられ、夏王朝の司徒(宰相)にまで任じられるという破格の待遇は考えにくい。

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プロフィール

yoshi

Author:yoshi
1977年生まれ。

10歳で「ノストラダムス」本を読み始め、14歳で加治木 義博氏の著書「真説 ノストラダムスの大予言」に出会う。

その後20歳を過ぎてから、生来の「不思議好き」「歴史好き」もあって、加治木氏の著書をもとに独自の考察を加えながら、本格的に「ノストラダムス」「古代日本史」の研究を趣味で始め、現在に至る。

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