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謎の神武東征㉚ 「生き馬の目を抜く」大王、「位宮」

ここまで『記紀』の「タカクラジ」が「高句麗東川王・憂位居」であり、「高句麗山上王・位宮」と同一人物である事が分かった。

ここで『三国志・高句麗伝』を見てみると、「位宮」の名前の由来について、以下の記述を見つける事ができる。

「伊夷模に子がなく、灌奴部の女に淫して生ませた子を位宮と名づけた。伊夷模が死ぬと立って王となる。今の句麗王「宮」である。その曽祖父の名も『宮』。句麗では相似を『位』と言う。その祖と似るゆえに名を位宮とした」

「伊夷模(イイボ)」とは『三国史記・高句麗本紀』に言う、高句麗第9代の故国川王である。

以前に「故国川王=コマガワ王=球磨川王」として紹介したあの王だ。

この「故国川王・伊夷模」と灌奴部の女との間に生まれた庶子が「位宮」なのだと言う。

そして「位宮」は曽祖父の「宮」に似ていたので、高句麗語で「宮に似る」との意味の「位宮」と名付けたと言う。

この「宮」は、「倭面土国王・帥升」と同一人物の「次大王・遂成」の兄に当たる「太祖大王・宮」である。

では「位宮」は、何が「太祖大王・宮」に似ていたのだろう。

夏侯湛の『魏書・高句麗伝』には、さらに詳しく記されている。

「(太祖大王・宮は)生まれたときから目を開け、視力があったが、国人はこれを不吉とした。長じると凶暴にして残虐、国は無残に破れた。宮の曾孫の位宮もまた生誕時から視力があり、曾祖父の宮に似ているので、位宮と名づけた」

「位宮」は「太祖大王・宮」に似て、生まれたばかりの頃から視力があったのだと言う。

しかし高句麗の人々はこれを「不吉だ」とした。

一体なぜだろう?

それは『後漢書・高句麗伝』に記されている「太祖大王・宮」が、朝鮮半島に進出して周辺諸国に侵攻し、後漢に服属を誓ったかと思えば、今度は逆に後漢の国境を荒らし、終には国を危うくしたからに他ならない。

そして「位宮」も「宮に似る」との名前の通り、魏に援軍を出して服属したかと思えば、今度は魏の国境を侵犯して大敗し、半島から逃げ帰っている。

まさに「宮」も「位宮」も、油断も隙もない「暴れん坊大王」だったのである。


そう言えば我が国では、油断も隙もない事をことわざで、「生き馬の目を抜く」と言う。

このことわざには他にも、「生きている馬の目を抜くほど、素早く事をする様」「ずる賢く立ち回り、他人を出し抜いて素早く利益を得る事」などの意味があるが、まさに「宮」や「位宮」にピッタリである。

何より「位宮国」と書けば、これは「イキュウマ=生き馬」であり、「目を抜く」の「目」も、「 生まれたときから目を開け」を何となく想像させる

案外このことわざ、本来は「位宮国の目を開く」が語源で、それが訛ったものなのかも知れない。







続く





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プロフィール

yoshi

Author:yoshi
1977年生まれ。

10歳で「ノストラダムス」本を読み始め、14歳で加治木 義博氏の著書「真説 ノストラダムスの大予言」に出会う。

その後20歳を過ぎてから、生来の「不思議好き」「歴史好き」もあって、加治木氏の著書をもとに独自の考察を加えながら、本格的に「ノストラダムス」「古代日本史」の研究を趣味で始め、現在に至る。

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