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謎の神武東征㉙ 「憂位居」と「位宮」は同一の「高句麗王」

しかしこの「東川王・憂位居」だが、朝鮮の『三国史記』には記録があるが、中国正史にはその名は全く登場しない。

『梁書・高句麗伝』には、

「景初二年(238年)、太尉の司馬王仲達は大軍を率いて公孫淵を討伐。『位宮』は主簿と大加を派遣し、千人の兵を率いて援軍に向かわせた」

「正始三年(242年)、『位宮』が西安平を侵略した」

「正始五年(244年)、魏の幽州刺史の毋丘倹が万余の兵を率いて玄菟を出て、『位宮』の討伐に向かった」


と、いずれも「位宮」と記載されている。

この「位宮」とは、「東川王・憂位居」の父で先代王とされている、高句麗第10代王・山上王の事だ。


なぜ『三国史記』と『梁書・高句麗伝』でこの様な相違が起こったのだろう。

そもそも『三国史記』は朝鮮の正史ではあるが、実際には高句麗・新羅・百済などの歴史を集めて1145年に完成したもので、新羅が高句麗を滅ぼして朝鮮を統一したのが668年なのだから、高句麗の滅亡後、約500年も後に作られたものなのだ。

そして『三国志』や『魏志倭人伝』の時代は、その668年をさらに400年以上さかのぼる3世紀中頃の出来事なのだから、900年も前の記事を編集したことになる『三国史記』は、その分間違いも多くなって当然である。


一方の中国正史は、前王朝の滅亡後間もなくに完成したものがほとんどで、しかもその作成にあたっては「正確さとスピード」が求められた。

一例を挙げると、「陳寿」の『三国志』は「中国正史の鑑」と高く評価されているが、彼だけが三国志を書いた訳ではなかった。

『三国志』より以前には、「魚豢(ぎょわん)」が『魏略』を著しているし、陳寿と同時期には「夏侯湛(かこうたん)」が『魏書』を書いている。

しかし夏侯湛は、陳寿の『三国志』を見て自分の編集が恥ずかしくなり、その『魏書』を引き破ってそれきり筆を置いてしまったと言う。

この様に「中国正史の編纂」とは、「正確さと早さを競うレース」なのだ。

そして同じ原史料から歴史を編纂したにもかかわらず、後世にここまでの差がついたのは、「陳寿の三国志が早く正確だったから」に他ならない。


少し話が横に逸れたが、つまり中国の正史は、すべてとまではいかないが、「比較的正確」と言える。

特に日本や朝鮮などの他国の記述に関しては、彼ら中国の史家は誰にも遠慮する必要がないのだから、原史料のまま正確に記載する。

だから『三国史記』と『梁書・高句麗伝』の王名の違いは、『梁書』が記録している「位宮」の方が正しいと言って差し障りない。


それでは「中国正史」に記録されていない「憂位居」とは誰なのだろう?

その謎を解くのが、彼のフルネームである「高憂位居」なのだ。

私はこの「高憂位居」を「コウウクライイ」と読み、これを「コウークライー」と伸ばし、短く発音する南九州語では「コウクライ」だとした。

するとこの「コウクライ」は、「高句麗」と一見して同じものだと分かる。

そして「高憂位居」は王なのだから、「高憂位居王」と書くと「コウクライ王=高句麗王」だから、これは官職名を指した当て字から生まれたものだったのだ。

また「位宮」のフルネームは「高位宮」だが、これも「コウクライノミヤ」と読める。

この「宮=ミヤ」は、現在でも皇族を「〇〇宮殿下」と呼ぶように、王や王族を指すと見れば「高位宮=コウクライノミヤ=高句麗王」となる。

「高位宮」も「高憂位居」も、突き詰めれば「高句麗王」との名乗りから分裂した名前だったのだ。

さらに「位宮」を南九州語発音で短く「イキュ」と読めば、沖縄語で「キャ・キ・キュ・ケ・キョ」は「キャ・キ・キュ・キ・キュ」だから、「キョ=キュ」となり、「位居=イキョ=イキュ=位宮」だ。

つまり、「位宮」と「憂位居」は同一人物で、『中国正史』では「山上王・位宮の一代記」だとされている記事が、『三国史記』では、「前半が憂位居」「後半が位宮」と分裂してしまっていると言える。

この証拠として、『三国史記・高句麗本紀』では位宮の没年は227年だとするが、その後も位宮は中国正史に多数の記述があり、『梁書』によれば正始六年(245年)まで活躍している事も、その事実を物語っていると言えよう。








続く




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プロフィール

yoshi

Author:yoshi
1977年生まれ。

10歳で「ノストラダムス」本を読み始め、14歳で加治木 義博氏の著書「真説 ノストラダムスの大予言」に出会う。

その後20歳を過ぎてから、生来の「不思議好き」「歴史好き」もあって、加治木氏の著書をもとに独自の考察を加えながら、本格的に「ノストラダムス」「古代日本史」の研究を趣味で始め、現在に至る。

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