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謎の神武東征㉘ 「タカクラジ」は高句麗東川王・憂位居

しかしここで疑問になるのが、「タカクラジ」の名乗りに「高句麗」が入っている事だ。

果たして彼は「高句麗王」だったのだろうか?

「高倉下」という名前は「高い倉の主」の意であるとするのが通説で、『先代旧事本紀』巻5天孫本紀では、物部氏の祖神である饒速日(ニギハヤヒ)の子で尾張連らの祖・天香語山(アメノカゴヤマ)命の割註に、「天降の名・手栗彦(タグリヒコ)命のまたの名がタカクラジである」としている。

なんと、「タカクラジ」は神武天皇の敵である「ニギハヤヒ」の子の「アメノカゴヤマ」と同一人物だったのだ。

この「タカクラジ」の別名の「アメノカゴヤマ」であるが、これは一見して「鹿児島」と似ている発音だとわかるが、これは高句麗第7代王の次大王・遂成が、倭・面土国王の帥升と同一人物で、彼の都は鹿児島県の宮之城にあった事を確認しているから、「天の香語山」とは「天の鹿児島王」との名乗りに通じる。

また「天」を「天=空=クウ=コウ=高」と考えると、これは「高の鹿児島王」で、「高」は「高句麗」の「高」であり、朱蒙以来の高句麗王家の姓であるから、彼は「高句麗王」との結論に達する。

そしてもうひとつの名乗りである「タグリヒコ」は、「タグリ」が「高句麗=コグリ」の訛ったものだと考えると、やはり「高句麗彦」で、当時の「彦」は王や王子を指すから、彼は「高句麗王」か「高句麗王子」となる。

何より「タカクラジ」という名前は「高い倉の主」との意味だから、これは正しくは「高句麗の主」であり、「タカクラジ」が「タカクラギ」の訛ったものとすると、これは大隅語で「高句麗王」を意味する。

「タカクラジ」の異なる三つの名乗りは、どれも「高句麗王」となって一致するのだ。

そして卑弥呼の頃の高句麗王は11代目の東川王・憂位居(ユウイキョ・在位:227年〜248年)だが、高句麗王の姓は「高」なのだから、彼のフルネームは「高憂位居」で、これは「コウウクライイ」と読める。

これを「タカクラジ」と比較してみると、「コウウクライイ」は「ウウ」を「ウー」、「イイ」を「イー」発音すれば「コウークライー」で、南九州語は言葉を短く発音するから、「コウクライ」。

さらに「コウ=高」「クラ=倉」「イ=似」と当て字すれば、これは「高倉似=タカクライ」で、「似」は「類似(ルイジ)」の様に「ジ」の発音も持っているから「高倉似=タカクラジ=高倉下」なのだ。

つまり「タカクラジ」は「高句麗東川王・憂位居」だった可能性が高い。


これを裏付ける様に、『三国志・高句麗伝』の中には以下の記事がある。

「景初二年(238年)、(魏の)太尉・司馬王(=司馬仲達)が軍団を率いて遼東の公孫淵を討ち、高句麗は主簿大加を派遣して、数千人を率いて援軍とした」

「正始三年(242年)、高句麗が西安平県に侵攻したが、その五年(244年)、(魏の)幽州刺吏・母丘倹(かんきゅうけん)に全滅させられた」


つまり高句麗の本国は熊本にあったが、王は主力軍を率いてこの頃までに海を渡り、現在の北鮮・満州にあって魏と国境を接していたのだ。

しかし魏との国境紛争から戦争となり、高句麗軍は壊滅し、その後に「王は逃亡した」との記述がある。

この逃亡した当時の王こそ、東川王・憂位居なのだ。

つまり憂位居は北鮮で魏に敗れた後、熊本の本国に帰ってきていたのではないだろうか。

彼は本国で軍を立て直し、再び魏と決戦に及ぼうとしていたのだろう。

しかし高句麗の宗主国である倭国は逆に魏と友好を結び、卑弥呼はその憎い魏から「親魏倭王」に任命されている。

憂位居はこれを見てまずは卑弥呼を滅ぼし、倭の30国を統合する「邪馬台王」となって軍備を整え、魏に再戦するつもりではなかったのだろうか。

しかし先の魏との戦いで高句麗軍は壊滅してしまっており、単独ではまともに倭国とは戦えない。

そこで同じく倭国に恨みを持つ新羅の赫居世と手を組み、連合して倭国に戦いを起こしたのだ。

そして「赫居世=天照大神」の要請を受け、新羅軍を率いる「瓠公=神武天皇」に宝剣を与えた、すなわち新羅軍の武装を強化したのだ。

となると、天照大神と相談した「武甕槌(タケミカヅチ)」もまた「東川王・憂位居」だったのかも知れない。











続く







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テーマ : 歴史&スピリチュアル・ミステリー
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プロフィール

yoshi

Author:yoshi
1977年生まれ。

10歳で「ノストラダムス」本を読み始め、14歳で加治木 義博氏の著書「真説 ノストラダムスの大予言」に出会う。

その後20歳を過ぎてから、生来の「不思議好き」「歴史好き」もあって、加治木氏の著書をもとに独自の考察を加えながら、本格的に「ノストラダムス」「古代日本史」の研究を趣味で始め、現在に至る。

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