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謎の神武東征㉗ 「神武東征」は新羅・高句麗連合軍と卑弥呼の「邪馬台紛争」

建国当初の高句麗が熊本にあった事は、これではっきりした。

そしてこの事実を踏まえ、改めて「神武東征」の記事を見てみると、「高句麗」とソックリな名前を持つ人物が登場していることに気がつく。

「東征がはかばかしくないことを憂えた天照大御神は、武甕槌(タケミカヅチ)神と相談して、霊剣(布都御魂)を熊野の住民の高倉下(タカクラジ)に授け、高倉下はこの剣を神武天皇に献上した(神武東征記)」

この「タカクラジ」は「タカ=高」「クラ=句麗」と当て字できるから、「タカクラジ=高句麗下」で、高句麗の側に居た人物だったのだ。

そして「高句麗」は「熊本」に興った国なのだから、「神武東征記」の言う「熊野の住民・タカクラジ」とは、正しくは「熊襲(熊本)の住民・高句麗下」である。

つまりこれは、「熊本の高句麗が神武天皇に味方した記録」だったのだ。


ここで思い出していただきたいのが、「神武天皇」の息子である「神八井耳」は、「狗右制卑狗」と記録された「狗奴国王」だったと言う事実である。

『三国志・魏志倭人伝』によると、卑弥呼が魏に使いして狗奴国との紛争を報告したのが「正始八年」で、これは西暦247年の事だ。

つまり「神武東征」は3世紀中頃の事件だったのである。

そして卑弥呼の夫であった「仲哀天皇=ソナカヒコ」は、最後まで熊襲征伐を優先しようとし、結果として老ソナカ王に謀反を疑われて殺されてしまっている。

この「熊襲」が「高句麗」であったことも検証済みだから、高句麗と倭国は敵対関係にあったと見てよい。

これは同じく倭国と敵対関係にある新羅と利害が共通しているのだから、高句麗が新羅に味方してもおかしくはないと言える。

しかし「神功皇后記」に、「新羅は戦わずして降伏し、高句麗・百済も朝貢を誓った」との記事があるように、神功皇后のモデルの1人である卑弥呼が新羅を征伐しに九州に上陸した際、新羅も高句麗も、倭国の属国となっていたのだ。

そして新羅と高句麗が手を結び、宗主国である倭国に対して起した戦いが、『三国志・魏志倭人伝』に記録された「邪馬台紛争」であり、我が国の歴史に記録された「神武東征」だったのだ!












続く

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テーマ : 歴史&スピリチュアル・ミステリー
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プロフィール

yoshi

Author:yoshi
1977年生まれ。

10歳で「ノストラダムス」本を読み始め、14歳で加治木 義博氏の著書「真説 ノストラダムスの大予言」に出会う。

その後20歳を過ぎてから、生来の「不思議好き」「歴史好き」もあって、加治木氏の著書をもとに独自の考察を加えながら、本格的に「ノストラダムス」「古代日本史」の研究を趣味で始め、現在に至る。

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