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謎の神武東征㉖ 「玉名」は「多婆那(タバナ)」だったか?

陜父の「多婆羅国」が玉名を含んでいることは分かった。

そしてさらに調べていくうちに、『三国史記』に以下の記述を見つけた。

「脱解尼師今立つ。 (中略) 脱解、本来は多婆那国の生まれ。その国は倭国の東北一千里に在る」

この記事の中の「多婆那(タバナ)」は「多婆羅(タバラ)」とは一文字違いであるから、学説では両国を同一視する見解がある。

また陜父の領土である「玉名(タマナ)」にも近い発音を持っている事も分かる。

しかしこの記事、実は「新羅」の記録で、「脱解尼師今」とは新羅三王族の一つ、「昔氏」の王なのだ。

となると私たちは既に、「天の昔氏」と呼ばれた新羅王子である「アメノヒボコ」が種子島を征服し、彼の血筋が後に新羅三王族の一つである「昔氏」となった事を知っている。

そして当時の種子島が「多児国=タジマ=但馬国=タジマナ=タチバナ=橘」などと呼ばれていたことも検証済みだ。

だから「昔氏」の王である「脱解尼師今」が生まれた「多婆那(タバナ)」は、間の助詞である「津」が抜けているとすると「多津婆那=タツバナ=立花=橘」で、これは「種子島」だと答えが出る。

またこの「種子島」は「倭国の東北一千里に在る」と言う。

これは先に使った「対馬~松浦間」の距離である「二千餘里」の半分であるから、これをもとに調べると、現在も定期船の航路のある、「種子島の西之表」と「屋久島の宮之浦」を結ぶ距離にほぼ一致する。

そして種子島は正確に、屋久島の東北に位置しているから、やはり「多児国=種子島」を新羅に奪われた後の倭国の最北端は、屋久島だったという事になるのだ。

この「多婆那」を「多婆羅=玉名」に当てはめても、決してこの様に検証に添った正確な答えは導き出せない。

まず記事に従って玉名や熊本を起点とし、南西に「一千里」向かうと、そこは島原半島の先端である。

二世紀頃の倭国はまだ南西諸島にあり、新羅もようやく鹿児島に上陸したばかりであるが、史書の記録を逆算すると朱蒙の即位は紀元前三十七年とされている。

その後二十数年して「陜父の乱」が起こるのだが、それでもまだ紀元前十年台の話であり、まだ倭国も新羅も九州には上陸していないのだから、その両国が熊本や島原に存在するはずがない。

以上の結果から、「多婆那」と「多婆羅」は別の国と言える。












続く
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テーマ : 歴史&スピリチュアル・ミステリー
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プロフィール

yoshi

Author:yoshi
1977年生まれ。

10歳で「ノストラダムス」本を読み始め、14歳で加治木 義博氏の著書「真説 ノストラダムスの大予言」に出会う。

その後20歳を過ぎてから、生来の「不思議好き」「歴史好き」もあって、加治木氏の著書をもとに独自の考察を加えながら、本格的に「ノストラダムス」「古代日本史」の研究を趣味で始め、現在に至る。

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