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謎の神武東征⑲ 『マラヤ編年記』から読み解く、意外な事実②

「『マラヤ編年記』から読み解く、意外な事実①」では、我が国の皇室と仏教とのかかわりを発見することができた。

今回は同じく『マラヤ編年記』から読み解く『新羅との関係』について説明したい。


これまでの検証で「新羅」は、仏教を信仰する「ソナカ宣布団」とは敵対する「ヒンドゥー教の勢力」であった事が明らかになっている。

そして新羅の王統が「朴」「昔」「金」の3王族であったことも分かった。

しかしこの「3王族」に限って見ると、『マラヤ編年記』の「スリ・トリ・ブァナ」も同じく「3王族」である。

これを詳細に調べてみると、「マレーシア不動産情報」というHP内の「マレーシア~今と昔」というコーナーに以下の記述を見つけた。

『ムラユ神話の世界の基本体系が、この物語に集約されている。

と同時にこの世界が記述するのものは、海洋民族ではなく農耕世界であり、イスラム世界ではなくヒンドゥーの世界を具現している。

更に、その血統はアレキサンダーの末裔だとしている。

アレキサンダーのムラユ(マレー)語音は「イスカンダール」であり、イスカンダールを名乗るサルタン(王)はムラカ王朝などムラユ世界での諸侯に例が多い。

それは神話の域を越えてムラユ世界の常識だったのかも知れない。

ムラユ世界のサルタンは、自らをアレキサンダー大王の血をひく世界の三血統の末裔で、インド王、中国王と並ぶ存在と位置付けていた(以上転載)』


なんと、『マラヤ編年記』の世界観は「ヒンドゥー」であるというのだ。


さらに調べてみると、朝鮮の『三国史記』に以下の記述を見つけた。

『朴赫居世は13歳で王位を表す居西干に就き、国号を徐那伐とした』

この「居西干」だが、「イセカン」「イシカン」と読める。

つまり「イスカンダール」の「イスカン」と非常に似通った発音ではないか。

では残りの「ダール」はどこへ行ったのか。

古代中国の北方に居た匈奴(キョウド)と呼ばれる騎馬民族の王は、代々「単于」と呼ばれた。

しかしこの「単于」は「ゼンウ」と読むより、「タンウ」と読むほうが自然だというのは誰にでも分かる。

そして「新羅」の古代王称である「居西干」と「単于」を合わせれば、「居西干単于(イセカンタンウ)」となり、これを沖縄語の発音に直すと「イシカンタヌウ」であるから、両者は「イスカンダール」「イシカンタヌウ」つまり極めてよく似た名前になるのだ。

しかしここで、「なぜ新羅と匈奴、別々の王名をつなぎ合わせたのか」との疑問があろうかと思うが、それは以下で説明する。


まずは新羅始祖の「朴赫居世」の神話を見てみよう。

「辰韓の六村の長の一人が、蘿井の林で馬の嘶くのが聞こえたので近寄ったところ、馬が消えて大きな卵があった。

卵を割ると中から幼児が出てきて人々は驚き、東泉寺に連れて行って体を洗うと、男児の体が光輝き、いずこからか鳥や獣たちが集まってきて舞い踊り、天地は鳴動し、太陽や月は清らかに照らした。

そこで人々は男児に「世の中を明々と照らして治める」という意味の「赫居世(カクキヨセイ)」と名づけた。

赫居世の入っていた卵は瓠(カク=瓢箪)のように大きかったので、新羅の言葉で瓢箪を意味する「朴(パク)」という姓にした。

10歳を越える頃には人となりが優れていたことから六村の人たちは彼を王位につけた。」



これを踏まえて「匈奴の単于」について見てみると、これまで匈奴の王は「単于」とされてきたが、正式には「撐犁孤塗単于(コウリコトゼンウ)」の略称であり、「撐犁(コウリ)」は後のテュルク語・モンゴル語の「テングリ=天」、「孤塗(コト)」はやはりテュルク語・モンゴル語の「クト=霊威」に相当するという説が有力である。


ここで両者を比較すると、「赫居世の姓である『朴』は瓠(ヒサゴ)の意味」で、これは「瓠=コ」と読める。

これは「撐犁孤塗単于(コウリコトゼンウ)」の「孤=コ」に対応している。

また「撐犁孤塗単于(コウリコトゼンウ)」の「撐犁(コウリ)」は「韓国人=コウリアン=高麗人」の「コウリ」と同じ発音であり、無関係とは思えない。

さらに『三国史記』を見ていくと、赫居世の王妃に関して、「容姿端麗にして人徳を備えていた閼英(アツエイ)を朴赫居世は王妃に迎えた」との記事がある。

一方、単于の妻(王妃)は、代々閼氏(アツシ)と呼ばれていたというのだ!

これはまぎれもなく「閼英」の「閼」であり、『三国史記』には「閼英は行いが正しく、よく内助の功に努めたので、人々は赫居世と閼英とを二聖と称した」とされているので、「閼氏」の称号は、この新羅の建国神話に基づいている可能性が高い。

そして何より、「孤塗(コト)」の「コ」は「木」と当て字できるからこれは「コト=木塗」で、「塗」をカタカナの「ト」とした場合、「木・卜」だから・・・

なんと!この2つを合わせると「木+卜=朴」で、朴赫居世の姓と同じではないか!

つまり「撐犁孤塗単于(コウリコトゼンウ)」とは「高麗人の朴(赫居世)単于」との名乗りであり、匈奴の「単于と閼氏」の称号は、新羅の建国の二聖である「赫居世と閼英」そのものだったのだ!








続く
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プロフィール

yoshi

Author:yoshi
1977年生まれ。

10歳で「ノストラダムス」本を読み始め、14歳で加治木 義博氏の著書「真説 ノストラダムスの大予言」に出会う。

その後20歳を過ぎてから、生来の「不思議好き」「歴史好き」もあって、加治木氏の著書をもとに独自の考察を加えながら、本格的に「ノストラダムス」「古代日本史」の研究を趣味で始め、現在に至る。

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