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謎の神武東征⑰ 「アレキサンダー大王」と同じ称号を持つソナカ王

「ツヌガアラシト」は、「角がある人」だという事を先に検証したが、これは「ツルカルナイン=二本角の大王=角がある人」と呼ばれたアレキサンダー大王の渾名そのものであり、「ツノガアルヒト」が沖縄語に訛ったのが「都怒我阿羅斯等」と言う当て字なのだ。

ソナカ宣布団を派遣したマガダ国のアショカ王の祖父にあたる、マウリヤ朝マガダ国の初代・チャンドラグプタ王の時代、アレキサンダー大王はインドに侵攻して、インダス川流域を占領していたのだ。

アレキサンダーは全インドを征服するつもりであったのだが、このインド遠征の最中に病に倒れ、総督(サトラップ)を任命してインダス川流域の支配を任せると本国に戻り、紀元前323年に死去した。

やがてアレキサンダーの後継者争いが起こると、総督(サトラップ)達の支配する東方旧領土制圧を目指し、セレウコス朝シリアのセレウコス1世がインダス川流域にまで勢力を伸ばしたが、この時チャンドラグプタは大軍を率いてセレウコス1世を圧倒し、セレウコス朝のインダス川流域侵入を阻止した。

チャンドラグプタの大軍に驚いたセレウコス1世は、マウリヤ朝マガダ国と協定を結び、インダス川流域の東部辺境地域をマガダ国に割譲した上、自分の娘をチャンドラグプタの息子・ビンドゥサーラの妃として嫁がせるのと引き換えに、チャンドラグプタから500頭もの戦象を獲得したと言う。

これは地中海地域に本格的に象兵が登場するきっかけとなり、後のイプソスの戦いで彼の勝利に大きな貢献をするものでもあった。

後にマウリヤ朝マガダ国の2代国王となるビンドゥサーラと、妃となったセレウコス1世の娘の間に生まれたのが、ソナカ宣布団を派遣した3代目のアショカ王である。

この両国の平和協定と不戦条約によって、マガダ国には多くのギリシャ系の人々が住みついて混血した。何より、アショカ王の母親はセレウコス1世の娘であり、彼自身がインド人とギリシャ人の混血なのだから、不世出の英雄・アレキサンダー大王の事はよく知っていたはずである。

以上がアショカ王の仏教宣布団が派遣される以前の、インドを取り巻く情勢だった。

だからアショカ王が、アレキサンダー大王の渾名である「ツルカルナイン」を知っていて、東方宣布団の団長であるソナカ王に称号として与えたとしても、何の不思議もないのだ。

さらに、ソナカ一族が「ツルカルナイン」を名乗っていたとする証拠が、ソナカ宣布団が立ち寄ったとされるマレーシアの神話に存在した。

現在のマレーシアにあったマラッカ(ムラカ)王朝への祖先は、バレンバンのスリ・トリ・ブァナという3王族にそのルーツがあるとされるが、日本の『古事記』にあたる史書、『マラヤ(馬来国)編年記』によれば、この3王族の出現について、次のような伝説があると言う。

『バレンバンの都アンデラスという所に、エンボク、マリニという二人のお婆さんが住んでいた。

二人はシグンタン丘に田畑を持っていたが、稲が実ったある晩、丘の頂が光り輝くのを見て、二人は恐れ戦きながらもその晩は眠ってしまった。

夜が明け、二人が丘へ登って見ると、稲は黄金の穂を垂れ、茎は銀に変わっており、三人の美男子がそれぞれ白象にまたがってその頂にいた。

二人のお婆さんは、「どこから来なさった?ここで人間を見かけることはほとんど無いのに」と尋ねると、三人は、「われわれは、アレキサンダー大王の血をひく者だ」と答えたと言う』(趣意)


以上が『マレーシア版・天孫降臨』とも言える神話のあらすじである。

仏教では「黄金」が「仏」の異称としてよく使われており、平泉の金色堂に代表されるように、仏像は本来黄金を以て金色に装飾されているべきものであるし、経典や仏説では仏に対する供養の功徳としてしばしば与えられるのが黄金である。

そしてこれは先に見た「蘇那曷叱知」の「蘇那」が「金の国」を指すとするものとも一致する。

また「白い象」は、東南アジアでは古来神聖視されている動物で、殊に釈迦が生まれる際、その母(摩耶夫人)は白象がお腹の中に入っていった夢を見て妊娠を知ったと言われているから、これも仏教との繋がりが多大である。

何よりスリ・トリ・ブァナの3王族が「アレキサンダーの血筋」を名乗ったと言う事は、ギリシャ人の血を引いて「ツルカルナイン」の称号を受け継いでいると言う意味だから、「ツルカルナイン」の称号を名乗って「仏教」を広めにマレーの地を訪れたのは、「ソナカ仏教宣布団」だったのだ。

事実、中国の東晋時代の高僧・法顕の著書『仏国記』には、彼が西暦399年(安帝隆安3年)長安からインドに赴き、411年インドから海路を経て中国に戻る途中、インドネシアのジャワに漂着し、そこで5ヶ月滞在したすべての経緯が記してある。

それによると当時のマレーシア・インドネシアを治めていたのは「逝利佛室(シュリーウィジャヤ)」と呼ばれた王国であり、ジャワ島は「耶婆堤(ジャバデイ)」と呼ばれていたと言う。

これは見て分かる通り仏教を元とする国名であり、事実、インドネシアには逝利佛室時代の大仏教遺跡が存在する。

また、「耶婆堤」は「邪馬台」と語源を同じくするものであるが、それは後で説明をしたい。

ここまでをまとめると、『ソナカ宣布団は「ツルカルナイン=二本角の大王=角がある人」の称号を名乗る「アレキサンダー大王(ギリシャ人)」の血を引く一族であり、マレーシアに仏教を広め、後にマレーシア・インドネシアに大仏教遺跡を残した「シュリーウィジャヤ王朝」を起した』のだ。


その後ソナカ宣布団は、マレー・インドネシアを仏教国とした後、島伝いに台湾・沖縄へと布教地域を広げて行った。

当然その中には仏教徒となったマレー人も多く含まれていたので、当時の沖縄~南九州には、「目」を「マタ」と発音する多くのマレー語を話す人々がいたのである。

ソナカ宣布団の仏教がどのコースを通って日本にやってきたかということは、沖縄の首府が「首里=シュリ」という地名を残しているので、ここが到着点だと一目瞭然にわかる。

なぜなら、その南西をみるとインドネシアは「シュリー(首里)ウィジャヤ」と呼ばれ、さらにその西はインド最大の仏教国「シュリ(首里)ランカ」であるからである。









続く
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プロフィール

yoshi

Author:yoshi
1977年生まれ。

10歳で「ノストラダムス」本を読み始め、14歳で加治木 義博氏の著書「真説 ノストラダムスの大予言」に出会う。

その後20歳を過ぎてから、生来の「不思議好き」「歴史好き」もあって、加治木氏の著書をもとに独自の考察を加えながら、本格的に「ノストラダムス」「古代日本史」の研究を趣味で始め、現在に至る。

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