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謎の神武東征⑯ 「タジマ」を武力で奪ったアメノヒボコ

しかしここで新たな問題が発生した。

それは、「アメノヒボコが但馬(タジマ)国に上陸し、そこで現地の娘・前津見と結婚した」とする記述である。

この記述は「ソナカシチ」「ツヌガアラシト(ウシキアリシチ)」「仲哀天皇」「アメノワカヒコ」のいずれにも当てはまる記事が見当たらないし、第一「ヒメゴソ」の出奔騒動のすぐ後に、「ウシキアリシチ(=牛鬼)」は海中に沈められ、「仲哀天皇」と「天の稚彦」は矢で射られて死んでいるのだから、その後生存して「但馬に上陸」したとは考えられない。

だとすればこの部分の記述は、これら4人の記述が混同していない、「純粋なアメノヒボコのものだ」と考えるべきだ。

この当時の舞台は南西諸島なのだから、「タジマ」は現在の兵庫県の日本海側にあった「但馬国」ではなく、「タジマナ=橘」と呼ばれた「種子島」の事である。

では「現地の娘・前津見」とは誰の事なのだろう?

この「前津見」は多遅摩の俣尾(ダヂマのマタオ)の娘であると『記紀』には記してあるが、先に見た通り、「津見」は「海・港を支配する官職」であり、「津見王=ソナカ大倭津王」の「津見」であるから、「前津見」は「ソナカ一族」でしか名乗れない名前ではないのか?

検証してみると、「前津見」の父である「多遅摩の俣尾」は、「多児国のマタ王」と書ける。

この「多児」が「タジ→タニ→タネ」と訛り、「多児」は「児が多い」との意味だから、転じて「種(タネ)」となり、「種之国→種子国(=タネシマ)」と当て字されたのが、現在の種子島(タネガシマ)の由来である。

そして沖縄語と同じく3母音言語で、沖縄後の元となったマレー語では「マタ」は「目」の事だから、彼は「多児国の目王」で、「メ」は沖縄語で「ミ」の発音であり、「目」は「見る」ためのものだから、「多児国の見王」

つまり彼は、「多児国王(=タジマ王)」として多児国の政治を「見る」事を、「大津国(=ウチナ)」の「津見王(=大倭津国王)」より任されていたのだ。

しかしただ単に地方の統治を任すのであれば、肩書は日本風に言えば「知事」、中国風では「太守」といった程度で十分である。

だが彼は実際に「王」として統治を任されているのだから、彼が「ソナカ一族」の有力者であり、当時の種子島が「大倭津国」にとって重要な拠点であった事がうかがえる。

これは種子島の地理的条件を考えればすぐに分かる問題だ。

当時の大倭津国(=ウワツクニ)の勢力範囲は、九州に上陸するかしないかといった状況である。

そして種子島の北には、その九州の南端・大隅半島が目と鼻の先だ。

要するに種子島は、九州に進出するための前線基地の最たるものだったのである。

そして何より「~の=津」であるから、「多児国の見王」は「多児国津見王(タジマツミオウ)」と書く事ができる。

これは「大倭津国の津見王=老ソナカ王」が、一族の有力者であり、重要拠点の王である「多児国王」に「多児国の津見=種子島の港と海運の支配権」を、特別に与えていた事を意味する称号だ。

さらに先に見た奄美大島の「住用」も「スミヨー=津見王」なのだから、大倭津国には「津見王」の称号を持つ「方面総監・方面軍司令官」が数人いて、各方面の政治・軍事・布教を司っていたのだろう。

これは「アレキサンダー大王」が各地方の総監として設置した「サトラップ」と同じものであり、これを統括したのが「ソナカ大倭津王」で、「邪馬王」なのだから、それが「大倭津の邪馬の津見王」を意味し、住吉大神と同じく海の神である「大邪馬津見=大山積」であり、「倭の津見」が訛った「ワナツミ=ワダツミ」と呼ばれたのだ。


さらにペルシャ語で「タージ」は「王冠」を意味する言葉である。

ソナカ一族の主君である、インドのマウリヤ朝マガダ国のアショカ王の母親は、セレウコス1世の娘である事は述べたが、このセレウコス朝シリアが領有していたのがペルシャであるから、当然ソナカ一族の中でもペルシャ語が少なからず使われていたはずである。

なので「多児国」の元々の語源は「タージ国」であり、「王冠国」であって、その王たる「多児王」は、特に王冠を与えられ、強大な権限を有していたと考えられ、となるとその娘が「津見」を名乗っていたとしても、ごく自然な事となる。

また、「スミヨー」であるが、「ヨー」を「ジョー」と発音すれば「嬢」「女王」の事である。

「前津見」は多児国王の娘であって女王ではないから、「多児国津見王の娘」を意味する「津見嬢(津見王のお嬢さん)」と呼ばれていたのだ。

事実、種子島では現在でも、女性に対する敬称として、「○○さん」と呼ばずに「○○ジョー」と呼ぶ風習が残っている。


そして「アメノヒボコが但馬国(多児国国=タジマ・ナ)に上陸し」とは、その種子島が新羅によって侵攻されたと見るべきだ。

新羅は少し前にトカラ列島を倭国に奪われたのだが、その一党は海を北上して、新天地たる九州最南端のひとつ、薩摩半島に上陸していた。

この薩摩半島には「謎の神武東征①」でお話した、「安芸(アキ)の挨宮」が置かれた「開聞(カイモン)地区」があるが、この「開聞」は「ヒラキキ」とも読める。

これを大隅語で発音すると「シラギッ」となるが、これは「新羅=シラギ」と同じ発音である。

また、新羅の始祖は「赫居世(かくきょせい)」とされているが、これは「カゴセ」とも読める。

そして「赫居世国」と書けば、これは「カゴセマ」となり、沖縄語では「セ」は「シ」になるから、「カゴシマ=鹿児島」の発音と同じになるのだ。

さらに先に見た「知林ガ島=鶏林」も、朝鮮の『三国史記』には「新羅の古代名称だ」と記されているのだ。

これはトカラ列島を追われた「平島新羅」が、鹿児島県の薩摩半島の南端に位置する開聞岳付近に移った証拠であ
る。


さらに、新羅の王族である「昔(ジャク)氏」は、「倭の但馬(タジマ)地域から新羅に渡り王となった」とされている。

新羅の王統は、始祖・赫居世の系統である「朴氏」、但馬より新羅に渡ったとされる「昔氏」、そして「金氏」の3王族とされているが、「多児国(=タジマ)」を攻め取ったのは「新羅王子・アメノヒボコ」なのだから、これは「アメノヒボコ」が「昔氏」の祖で、タジマ制圧後に新羅に戻り、後に王位に就いた事を示しているのではないか。

そしてこの「昔(ジャク)氏の祖」である「アメノヒボコ」を「天の昔氏(アメノジャクシ)」と呼ぶ人がいて、それが「天昔子」と当て字されて「テンジャクコ」と読まれ、「アメノワカヒコ=天若彦=テンジャクヒコ」と混同されてしまった結果が、敵対しているはずの「アメノヒボコ」と「ソナカシチ」「ツヌガアラシト」に、同様の記述が見られる事になった原因なのだ。

また「アメノワカヒコ」を「天若=アマノジャク」とする説があるが、「天昔」も「アマノジャク」と読めるし、「都努我」と「アメノヒボコ=天日矛」の「天日」も、ともに「チンカ」と読める。

以上から、「アメノワカヒコ」らと「アメノヒボコ」が同一視されてしまったと考えるべきである。


こうしてアメノヒボコが種子島に侵攻し、多児国は敗れ、その戦利品として、「津見嬢」は無理やりアメノヒボコの妃にさせられてしまう。

これは、かつてトカラ列島を倭国に奪われた報復とも見て取れる。

これが「以前は津見を名乗っていた=前は多児国津見嬢だった」という意味の「前津見」なのである。

こうして見ると「新羅王子・アメノヒボコ」は、武力で多児国(タジマ)に侵攻してこれを占領し、多児国王の娘を奪って妃にした事実が鮮明に浮かびあがり、この多児国が占領され、多児国津見王が討たれたことにより、その後の神功皇后による「新羅征伐」が行われた理由もはっきりするのだ。











続く
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プロフィール

yoshi

Author:yoshi
1977年生まれ。

10歳で「ノストラダムス」本を読み始め、14歳で加治木 義博氏の著書「真説 ノストラダムスの大予言」に出会う。

その後20歳を過ぎてから、生来の「不思議好き」「歴史好き」もあって、加治木氏の著書をもとに独自の考察を加えながら、本格的に「ノストラダムス」「古代日本史」の研究を趣味で始め、現在に至る。

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