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謎の神武東征⑭ 「ソナカヒコ」のもう一つの別名は「新羅王子・天の日矛」?

ソナカヒコは別名を幾つももっていて、どれが本名だかさっぱり分からない人物だが、『古事記』をみると、まだもう一つ別名をもっていたことが分かる。

その名は、新羅王子の「アメノヒボコ(天の日矛)」で、『応神天皇記』の中にはこのような物語がある。

『昔、新羅のアグヌマ(阿具奴摩、阿具沼)という沼で女が昼寝をしていると、その陰部に日の光が虹のようになって当たった。

すると女はたちまち娠んで、赤い玉を産んだ。

その様子を見ていた男は乞い願ってその玉を貰い受け、肌身離さず持ち歩いていた。

ある日、男が牛で食べ物を谷間の田んぼに運んでいる途中、アメノヒボコと出会った。

ヒボコは、男が牛を殺して食べるつもりだと勘違いして捕えて牢獄に入れようとした。

男が釈明をしてもヒボコは許さなかったので、男はいつも持ち歩いていた赤い玉を差し出して、ようやく許してもらえた。

ヒボコがその玉を持ち帰って床に置くと、玉は美しい娘になり、ヒボコは娘を正妻とし、娘は毎日美味しい料理を出していた。

しかし、ある日奢り高ぶったヒボコが妻を罵ったので、親の国に帰ると言って小舟に乗って難波の津の比売碁曾神社に逃げた。

ヒボコは反省して、妻を追って日本へ来た。

この妻の名は阿加流比売神(アカルヒメ)である。

しかし、難波の海峡を支配する神が遮って妻の元へ行くことができなかったので、但馬国に上陸し、そこで現地の娘・前津見と結婚した(趣意)』


話の内容は、ここでもずいぶん違っているが、「牛に荷物を積んで田んぼに行った」「牛を殺して食べようとした」「玉(石)が少女になった」「逃げた少女を追って日本に来た」などの内容が一致している。

また「陰部に日の光が当たって」は「シタテルヒメ」の「下照(陰部を太陽が照らす)」と同じである。

何より娘は「比売語曽」の当て字が変わった、「難波の津の比売碁曾神社に逃げた」とはっきり記されているのだ。

そしてその「ヒメゴソ」を追いかけた人物は、「ツヌガアラシト=ソナカヒコ=仲哀天皇」と同一人物である。

さらにこの話には、「妻の名はアカルヒメだ」と詳しい記述があるし、「ヒボコが奢り高ぶった=奢り高ぶって住吉大神を非難した」ことで、結果「住吉明大神の怒りに触れ」、「難波の海峡を支配する神(海の王=津見王=住吉大神)が遮って難波の津(那覇の港)の妻の元に行けなかった」など、これまでの検証を裏付ける記述がされているのは興味深い。

ヒボコが後添えとした「前津見」の「津見」も「津見王」の「津見」である。


しかしここで注意していただきたいのは、この「アメノヒボコは新羅王子だ」ということである。

少し前に戻って「ソナカシチ」「ツヌガアラシト」の記述を読み返してもらうと分かるが、「ソナカシチ」「ツヌガアラシト」は、ともに「倭国からの贈り物を新羅に奪われ、それを恨みに思っている人物」なのである。

敵対し合っている者同士が同一人物であるはずはないから、これは本来、「ソナカシチ」「ツヌガアラシト」と別人であるはずの「アメノヒボコ」の記述に、「ソナカシチ」「ツヌガアラシト」の記述が混同されてしまって、書き換えられているのではないかとの疑問が浮上する。

これは検証してみる必要がある。

まず、「ツヌガアラシト」の記述では、牛に物を積んで田んぼに向かっていたのは、「ツヌガアラシト」本人である。

一方の「アメノヒボコ」の記述だと、牛に物を積んで田んぼに向かう途中の男を捕えたのが「アメノヒボコ」だ。

これは「アメノヒボコ」が「ツヌガアラシト」を捕えたと見る事ができる。

「ツヌガアラシト」は村長らに牛を食べられて失ったが、「アメノヒボコ」は男が牛を食べるつもりだとして、投獄しようとしている。

片方は牛を食べられたが示談で済ませているのに対し、片方は牛を食べようとしていると疑われただけで重罪人扱いなのだ。

そして男が捕えられた際、新羅王子・アメノヒボコに差し出したのが「赤い玉」で、「ツヌガアラシト」が新羅兵に奪われたのが「赤絹」なのだから、どちらも「赤い宝」で一致する。

以上を整理すると、「ツヌガアラシトを捕えたアメノヒボコは、平和的に話し合いで問題を解決しようとするツヌガアラシトを脅し、人質として投獄しようとした。困ったツヌガアラシトは、父・老ソナカ王より下賜された赤い宝をアメノヒボコに差し出し、何とか釈放してもらった」と読み解ける。

つまりこの記事は、「ツヌガアラシト=仲哀天皇」のトカラ列島漂着を、新羅の「アメノヒボコ」側から見た記事だと言える。

その後の「ヒボコがその玉を持ち帰って・・・」からが、「ツヌガアラシト」の記述が「アメノヒボコ」の記述に混同してしまっている部分である事は、「明らかになった仲哀天皇の生涯」で徹底検証されており、疑う余地はない。










続く
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プロフィール

yoshi

Author:yoshi
1977年生まれ。

10歳で「ノストラダムス」本を読み始め、14歳で加治木 義博氏の著書「真説 ノストラダムスの大予言」に出会う。

その後20歳を過ぎてから、生来の「不思議好き」「歴史好き」もあって、加治木氏の著書をもとに独自の考察を加えながら、本格的に「ノストラダムス」「古代日本史」の研究を趣味で始め、現在に至る。

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