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謎の神武東征⑫ 「住吉大神」は仲哀天皇の父、「大倭津の老ソナカ王」

これで邪馬台国以前の倭国の領土が台湾から沖縄・トカラ列島にまたがっている事は分かったが、では、神功皇后に神託して仲哀天皇に祟りをなした「住吉大神」とはいったい誰なのだろう。

住吉大神は、ソナカヒコに「国を与える」と言っているのだから、少なくともソナカヒコより上位にいた人物である事は確かだ。

そしてソナカヒコは仲哀天皇なのだから、「天皇よりも上位にいる人物」とは「天皇の両親や兄、祖父母」くらいなものである。

事実「住吉大神」が与えると言った国の範囲は、当時の倭国の全領土なのだから、「住吉大神」は「ソナカ一族の王でソナカヒコの父親」であった可能性が高い。


『記紀』では仲哀天皇の父親を、有名な「日本武尊(ヤマトタケル)」であるとしているが、「仲哀天皇が52歳で死んだ」とする『記紀』の記録を逆算すると、仲哀天皇は父である日本武尊の死後36年目に生まれたこととなり、これではあまりにもあり得ない話になる。

よって「仲哀天皇=ソナカヒコ」と「日本武尊=ヤマトタケル」には、少なくとも直接の血縁はなかったとすべきであり、「ソナカヒコの実の父親は別に存在する」と考えて検証するのが合理的だ。


そもそも「住吉大神」とは、住吉社に祀られている「底筒男命(そこつつのおのみこと)」「中筒男命(なかつつのおのみこと)」「表筒男命(うわつつのおのみこと)」の三神を総称したものである。

「底筒」「中筒」「表筒」は、それぞれ「底の海(=海底)」「中の海(=海中)」「表(表面)の海(=海面)」を意味しているから、この「筒」は「~の海」という意味で、「底ツ海=底津津」「中ツ海=中津津」「表ツ海=表津津」と書かれたのが当て字されたものだと分かる。

そして「男命(オノミコト)」なのだから、この三神は間違いなく「男神」と言える。

ここで注目すべきは三神の「名乗り」だ。

それぞれ「○筒男命」と名乗っているが、「底」「中」「表」だけが違う。

そして「住吉大神」はこの三神が一体(三位一体)となっているので、これは元は一人の名乗りが分裂したものと見るべきである。

この「底」「中」「表」は、「ソコ」「ナカ」「ウワツ」と読むのだから、「ソコ」と「ナカ」で「ソコナカ」で、沖縄では「コ」は「ク」となるから、「ソクナカ(足仲)=ソナカ」となり、「ウワツ」は「大倭津」と当て字できるから・・・

これを合わせると「ソナカ大倭津」となり、これは当時の「ソナカ一族の王」しか持ち得ない名乗りとなるではないか!

さらに「男命」を「オーノミコト=王のミコト」と発音すれば、「ソナカ大倭津王のミコト」となるから、これはまぎれもなく「ソナカ一族の王」の事である。

そして「仲哀天皇=ソナカヒコ」と「住吉大神=ソナカ大倭津王」は、同じ「ソナカ」でも「殺される側」と「殺した側」で別人なのだから、住吉大神はソナカヒコの父親である可能性が俄然高くなったのだ!


最奥深く見ると、住吉大神の化身である「老翁」は「ロウオウ=老王」で、「年老いた王=老ソナカ王」を指していると見るべきである。

仲哀天皇は52歳で死んだとされているのだから、その父親となると、当時がいかに早婚であったとしても70歳近くになり、当時の平均寿命が40歳前後と考えると、これは驚異的な高齢である。

そして仲哀天皇に「王位と領地を譲る」と言っているのだから、彼は老いてなお「大倭津国(ウワツクニ)の王」の位にある事となり、その彼を「老王」と呼んだ人がいたとしてもおかしくはない。


さらに奄美大島の地名を調べると「住用村(=スミヨーそん)」という村がある。

「村」の代わりに「之国=シマ」をつけると「住用之国=スミヨーシ国」になるので住吉はこれに対する当て字だと分かる。

では「スミヨー」は何を意味するのか?

古代日本語には<ス>と<ツ>の区別がなかったことは、先に見た「タカズナ=タカヅナ」の例でお分かりかと思うが、これを「スミ」にあてはめてみると、「ツミ」になる。

『記・紀』に出てくる「津見」「積」「祇」という字の事だ。

「ワタツミ=綿津見・海津見の神」「オオヤマツミ=大山積・大山祇の神」などと書かれていて、日本神話の神名、ことに海神の首長クラスに付けられているので、海の王を意味する敬称だとされている。

そうだとすれば「津見」は文字どおり、「津=港・海」を「見る=監視する。支配する」という意味の官名だということになり、「ヨー」も、これを「オー」と発音すれば「王」の事で、「スミヨー」は「ツミオー=津見王=海・港を支配する王」という名になる。

これまでの検証で当時の倭国は、沖縄(ウチヌ)から台湾(高砂・小琉球)・トカラ列島(意富加羅=倭・吐喝喇)を含む西南諸島にまたがる海洋国家だった事が分かっているから、その王が港と海運を支配する「津見王」と呼ばれたのは想像に難くない。

これは、「住吉大神」が古来より「海の守護神」「航海の神」として、漁業や船舶関係者に崇拝されている事実にも完全に一致する。

そして「住吉大神」は「浪速(ナミハヤ)の神」なのだから、「浪」を「ロウ」と読み、「速」をインド・パーリー語で「速い」を意味する「ジャバ」と読めば、「ロウジャバ=老邪馬」、つまり「老邪馬王」の意味だ。

また『謎の神武東征③』で見たように、「浪速(ナミハヤ)」を「ナニワ」だと読めば、「ナニワ=ナヌハ=那の覇=那覇」だから、彼はやはり沖縄の王なのだ。

だからここで言う「邪馬」は「邪馬台国」の事ではなく、「邪馬=ザマ」と読めばこれは現在の沖縄の「座間見」の事で、「座間の見=座間津見=邪馬津見」となって、「大倭津国=ウワツクニ」が当時沖縄にあった事を雄弁に物語っているのだ。









続く
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まとめtyaiました【謎の神武東征⑫ 「住吉大神」は仲哀天皇の父、「大倭津の老ソナカ王」】

これで邪馬台国以前の倭国の領土が台湾から沖縄・トカラ列島にまたがっている事は分かったが、では、神功皇后に神託して仲哀天皇に祟りをなした「住吉大神」とはいったい誰なのだろ...

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プロフィール

yoshi

Author:yoshi
1977年生まれ。

10歳で「ノストラダムス」本を読み始め、14歳で加治木 義博氏の著書「真説 ノストラダムスの大予言」に出会う。

その後20歳を過ぎてから、生来の「不思議好き」「歴史好き」もあって、加治木氏の著書をもとに独自の考察を加えながら、本格的に「ノストラダムス」「古代日本史」の研究を趣味で始め、現在に至る。

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