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謎の神武東征⑩ 「仲哀天皇」と「アメノワカヒコ」に共通する「8年」

この「ツヌガアラシト」の別伝にある「牛」は「ウシキアリシチ」の「ウシ」だが、これにはもっと深い意味がある。

それは「御主」の事で、これを沖縄語で「ウシュ」と呼んだものが訛って「ウス・ウシ」となったものと同じなのだ。

かつて琉球王は「御主加那志前(ウシュガナシィメイ)」または「御主(ウシュ)」と呼ばれたから、「牛を失う」とは「御主(王)となる資格を失った」との意味で、ソナカヒコは皇太子であったのだが、その地位を失った事を指す。

またこの記述から、「失い」の元々の語源が「牛無い(ウシ・ナイ)」だった事が分かる。

しかしソナカヒコが「皇太子の地位を失った」のはなぜだろう。

それは村の老人が言っているように、その牛を「殺してしまった」からである。

どういう事かと言えば、これは暗に、「本国ではソナカヒコが死んだ事になってしまい、その地位が他の者の手に渡った」事を指し示すのではないか。

ソナカヒコは「生きながらに殺された存在となった」可能性が高いのだ。

彼の本国である「大天=沖縄=ウチナ」からは、海を渡らなければ他の島(シマ=之国)には行けないのだから、これは「海で遭難して死んだ事になってしまった」と考えれば話が早い。

そしてその後、「村の神様をもらう」のだから、ソナカヒコは皇太子の地位を失った代償として、「白い玉から生まれ、後に比売語曽の神となるヒミコ」をもらい、「村人を仏教に改宗させて君臨した」事になる。


どうして私がこのような事を言えるのかというと、実は「ヒメゴソ」がキーワードとなるこの事件の記事を『日本書紀』『古事記』の神話の中に発見したからだ。

913年、菅原道真が死んだ頃に政府が作った儀式の規定書「延喜式」には、全国の主な神社の神の名を書いたり、祭りの方法を書いたりしてあるが、その中に「下照比売(シタテルヒメ)は比売許曽(ヒメゴソ)の神」だと書いてある。

この「シタテルヒメ」は、神話に登場する「天の稚彦(アメノワカヒコ)」の妻となった人であるが、「シタテルヒメ」が「ヒメゴソ」であり「卑弥呼尊」ならば、「アメノワカヒコ」も「ソナカヒコ=仲哀天皇」だったはずである。

『記紀』に記されている神話の内容は、以下のとおりだ。

『天照大神の孫ニニギのミコトを、葦原の中つ国の国主にしたいと思った母方の祖父タカミムスビ(高皇産霊)のミコトが、葦原中国平定のために、そこへ次々に将軍を派遣するが、将軍は誰ひとりとして帰って来ない。

前に派遣された天穂日命(アメノホヒ)も3年たっても戻って来ないので、次にアメノワカヒコが遣わされた。

しかし、アメノワカヒコは大国主(オオクニヌシ)と顕国玉(ウツシクニタマ)の娘・下照姫(シタテルヒメ)と結婚し、葦原中国を得ようと企んで8年たっても高天原に戻らなかった。

そこで天照大神とタカミムスビは、雉の鳴女(キジノナキメ)を遣し、戻ってこない理由を尋ねさせた。

すると、その声を聴いた天探女(アメノサグメ)が、不吉な鳥だから射殺すようにとアメノワカヒコに進言し、ワカヒコは遣された時にタカミムスビから与えられた弓矢(天羽々矢と天鹿児弓)で雉を射抜いた。

ところがその矢はナキメの胸を射抜いて、タカミムスビの前まで飛んでいって落ちた。

タカミムスビは「アメノワカヒコに邪心があるならばこの矢に当たるように」と誓約をして下界に落とすと、矢は寝所で寝ていたアメノワカヒコの胸に刺さり、彼は死んでしまった(趣意)』


これを『日本書紀』「仲哀天皇8年」の記事と比較してみよう。

『仲哀天皇8年、熊襲討伐のため神功皇后とともに筑紫に赴いた仲哀天皇は、神懸りした神功皇后から住吉大神のお告げを受けた。

それは、西海の宝の国を授けるという神託であった。

しかし仲哀天皇はこれを信じず、住吉大神を非難した。

そのため住吉大神の怒りに触れ、仲哀天皇は翌年2月、急に崩じてしまった。

遺体は武内宿禰により海路穴門を通って豊浦宮で殯された(趣意)』


「アメノワカヒコ」は、「8年たっても高天原に戻らなかった」と記されているが、これは「住吉大神の神託があった」とされる記事の年号、「仲哀天皇8年」と見事に一致している。

「仲哀天皇8年」とは、初期の天皇は「明治」とか「昭和」と言ったような元号を用いていなかったから、これは「仲哀天皇が即位して8年目」との事だ。

その8年前の「仲哀天皇元年」に、ソナカヒコの遭難とトカラ列島教化が起こり、意富加羅王・ソナカヒコが即位しているのだから、『記紀』の「仲哀天皇記」は、仲哀天皇(=アメノワカヒコ=ソナカヒコ)が遭難してトカラ列島に漂着し、その土地を仏教に教化して「意富加羅の王」に即位した年を「仲哀天皇元年」としているのだ。

つまり「仲哀天皇」も「アメノワカヒコ」も、本国を経って「8年目」に「神」が神託や使者といった方法で連絡を入れていると言う共通点が見受けられる。

そしてどちらも「神の意思」に背き、直後にその「神の怒り」によって殺されているのだ。








続く
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プロフィール

yoshi

Author:yoshi
1977年生まれ。

10歳で「ノストラダムス」本を読み始め、14歳で加治木 義博氏の著書「真説 ノストラダムスの大予言」に出会う。

その後20歳を過ぎてから、生来の「不思議好き」「歴史好き」もあって、加治木氏の著書をもとに独自の考察を加えながら、本格的に「ノストラダムス」「古代日本史」の研究を趣味で始め、現在に至る。

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