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謎の神武東征⑤ ソナカ仏教宣布団の渡来

所謂「邪馬台国」については、現存する全ての『三国志(魏志倭人伝)』の版本では「邪馬壹國」と書かれている。『三国志』より後の5世紀に書かれた『後漢書』倭伝では「邪馬臺国」、7世紀の『梁書』倭伝では「祁馬臺国」、7世紀の『隋書』では俀国(ダイコク)について「於て邪靡堆(ヤビタイ)に都す。則ち魏志(倭人伝)に謂う所の邪馬臺の者也」となっている。

つまり邪馬台国には「邪馬臺」と「邪馬壹」二つの表記があるのだ。

日本の漢字制限後の当用漢字、常用漢字、教育漢字では、「壹」は壱か一にあたる文字であり、「臺」は台にあたる文字である。

余談ではあるが、私の住む秋田市には、戊辰戦争当時に秋田藩が官軍に味方した際、これを説得して奥羽越列藩同盟に留まらせようとした仙台藩士が処刑されてしまい、後にそれを悼んで建てられた『仙台藩士殉難之碑』という石碑があるが、その碑には「仙台」ではなく、『仙臺』と記されている。

従来表記のぶれをめぐっては、11世紀以前の史料に「壹」は見られないため、「壹」を「臺」の版を重ねた事による誤記とする説のほか、「壹與、倭の大夫率善中郎将掖邪狗等二十人を遣わし、政等の還るを送らしむ。因って臺に詣り、」から混同を避けるために書き分けたとする説、魏の皇帝の居所を指す「臺」の文字(曹魏の武帝・曹操は、鄴に都して「銅雀臺」を建てた)を東の蛮人の国名には用いず「壹」を用いたとする説などがある。

以上が邪馬台国に関する通説だ。

そしてその女王・卑弥呼であるが、彼女は「ヒミコ」と呼ぶのが当然になっているが、彼女の漢字の3世紀・曹魏での発音は「ペミャガ」である。

この「ペミャガ」は実はインド・パーリー語の「ピー・ミヤル・グァ=愛」と非常に近い発音だ。

邪馬台国の話なのになぜここで突然、インド・パーリー語が出てくるのかと思われるだろうが、実は鹿児島にはこんな話がある。

鹿児島では「観音詣で」のことを「ヒメコさぁに行く」と言うのだ。

もしこの「ヒメコさぁ」が「卑弥呼」を指すのであれば、「ヒメコ=卑弥呼=観音菩薩」となり、これは大変な事だ。

邪馬台国は仏教国だったかも知れないからである。

そしてインドのパーリー(巴利)国は、マウリヤ朝マガダ国の3代国王・アショカ王によって東方に派遣された仏教宣布団の指導者・ソナカ王の出身地でもある。

これは単なる偶然だろうか?

ソナカ一族のインド出発は紀元前3世紀とされ、現在のミャンマー・タイなどを仏教国としたが、その先の記録は残されていないと言う。

余談ではあるが、西に向かった宣布団は最終的にエジプトに到達し、アレキサンドロス図書館に仏教の経典を納めている。

しかし『日本書紀』や『上宮聖徳法王帝説』によれば仏教は6世紀に百済から伝来し、欽明天皇の命により蘇我蝦夷の父・稲目が自宅に仏像を安置して試みに信仰したのが始まりとされており、これ以前に仏教が伝来していたとされる記録は残されていない。

しかし検証を進めていくと、何と「ソナカ」の名前が『日本書紀』『古事記』に記されている事が分かったのだ。

それも何と、第14代天皇・仲哀天皇の名乗りの中にである。

仲哀天皇は『日本書紀』によると、正しい名乗りは足仲彦(タラシナカツヒコ)天皇である。

これは「足仲彦=ソナカヒコ」と読めなくもない。

また、仲哀天皇の皇后である神功皇后の正式な名乗りは、『古事記』によれば息長帯比売命(オキナガタラシヒメノミコト)で、こちらも「息長=ソナカ」が入っている。

そしてこれとは別に、「ソナカ」が我が国に渡来した決定的記録が『日本書紀』に残っていた。

『日本書紀』によると、崇神天皇65年に来日して垂仁天皇2年に帰国した「任那」からの最初の朝貢のための使者が蘇那曷叱知(ソナカシチ)であったとある。

そして蘇那曷叱知と言う名乗りの中に、はっきりと「蘇那曷=ソナカ」が入っているし、「シチ」を沖縄語で読むと、「シ=ヒ」「チ=キ=木=コ」となるから、この名乗りは完全に「ソナカヒコ=足仲彦」と一致するのだ。

これは俄然面白くなってきた。

神武東征からは話がそれるかも知れないが、だが今だ未解明な邪馬台国についての貴重な情報となる可能性がある。

また先に「日本人のルーツ」述べた、「倭=ウワイ=女性仏教徒」とも関連する話だ。

少々長くなるかも知れないが、徹底検証してみたい。







続く
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まとめtyaiました【謎の神武東征⑤ ソナカ仏教宣布団の渡来】

所謂「邪馬台国」については、現存する全ての『三国志(魏志倭人伝)』の版本では「邪馬壹國」と書かれている。『三国志』より後の5世紀に書かれた『後漢書』倭伝では「邪馬臺国」

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プロフィール

yoshi

Author:yoshi
1977年生まれ。

10歳で「ノストラダムス」本を読み始め、14歳で加治木 義博氏の著書「真説 ノストラダムスの大予言」に出会う。

その後20歳を過ぎてから、生来の「不思議好き」「歴史好き」もあって、加治木氏の著書をもとに独自の考察を加えながら、本格的に「ノストラダムス」「古代日本史」の研究を趣味で始め、現在に至る。

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