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倭人のルーツ③ 殷王朝と稲敷

殷王家は太陽神の末裔を名乗り太陽崇拝を行っていたとされる。

これは代々の王の諡(おくりな/死者に贈る称号)には当時信じられていた日ごとに順番に昇る10個の太陽の名前、甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸が必ず含まれている事が理由だ。

実はこの殷人(イント)は、今から3000年ほど前に我が国に来ていたという説がある。

加治木 義博氏の説によると、それは現在の茨城県稲敷郡なのだという。

「稲敷」は「イナシキ」と読むが、これは「殷の敷(インノシキ)」が「インナシキ→イナシキ」と訛ったものである可能性がある。

さらに稲敷は、殷の都であった殷墟から真東にちょうど2200キロメートル離れた所に位置している。

これは殷が太陽崇拝を行なっていた事と、重大な関連性がある。

東は太陽の昇る方角であり、また稲敷の「敷」は「式」と発音が同じであるから「殷式」と当て字でき、殷王朝がここで太陽を祀る儀式を行なっていた事を伺わせる。

また、ここが殷墟より真東に正確に2200キロメートル離れている事実から、殷王朝は18世紀にフランスでメートル法が発見されるはるか以前に、メートル法を採用していたのだ。

メートル法とは、1791年に地球の北極点から赤道までの子午線弧長の1000万分の1として定義される新たな長さの単位として決定されたものであるが、これは高度な天体観測の知識と技術なくしては知り得ない事である。

今から3000年以上前の殷王朝がこの「メートル法」を知っていたとすれば、これは釈迦が「世界に最たる知識民族」と呼んだ「シュメール人」、すなわち「ウバイド(倭人)」の知識ではなかったのではないか。

これを裏付ける証拠として、後に倭国を建国した倭人達が作った古墳は、メートル法に則って規則正しく配置されているのだ。


また「殷」が「稲=イナ」と置き換えられた事は、彼ら殷人が稲作を縄文人に伝えた事実も物語っているのではないだろうか。

シュメール人の農業は灌漑にかなり依存しており、彼らの灌漑は羽根つるべ・運河・水路・堤防・堰・貯蔵庫を使って行われ、運河の維持の為に修復作業と沈泥の除去がたびたび実行され、政府は国民に運河で働くことを求めたと言われている。

これは先に見た殷の始祖である「契」が、黄河の治水で実績を挙げた事にも符合する。

「シュメール人=ウバイド(倭人)」は、灌漑農業にも精通していたのだ。


しかし「稲敷」を建設した人々は「ウバイド(倭人)」の流れを汲む人々ではあったが、後の「倭国」を建設した人々ではなかった。

殷人は稲敷に「太陽を祀る儀式のための祭壇」と「貿易のための拠点」を作ったが、それらは殷王朝の滅亡の後に放棄されてしまったようだ。

また殷人は全国各地に広がり、「稲」「伊奈」「猪名」などの地名を残したが、これらの地名から、彼らは「殷人(イナジン)」を自称し、決して「倭人(ウバイド)」とは呼ばれていなかった事が推察される。

この事からも、彼らが「倭国を建国した人々ではなかった」と言える。
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テーマ : 考察
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プロフィール

yoshi

Author:yoshi
1977年生まれ。

10歳で「ノストラダムス」本を読み始め、14歳で加治木 義博氏の著書「真説 ノストラダムスの大予言」に出会う。

その後20歳を過ぎてから、生来の「不思議好き」「歴史好き」もあって、加治木氏の著書をもとに独自の考察を加えながら、本格的に「ノストラダムス」「古代日本史」の研究を趣味で始め、現在に至る。

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