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謎の神武東征㊴ 沖縄から九州に拡大した倭人

ところでここまで調べていくうちにいくつかの疑問にぶつかった。

①種子島を失ったあとの倭国の最北端は屋久島のはずなのに、なぜ昔氏の領地を意味する「邪久」の表記がされたのか。

②そもそも倭国の本国は「大天=ウチヌ=沖縄」だったはずである。しかし「位宮=琉球」「竜宮=琉球」でもある。これはどう言う事か。

③「琉球=竜宮」だとすれば、種子島の「龍城国」はどうなるのか。

④位宮と脱解はどの様な関係にあるのか。


等である。


①と②に関しては簡単である。

倭国の中心が九州に移ったとき、沖縄に居た倭人も九州に移り住んだのだ。

その証拠として、『魏志倭人伝』に記された倭国連邦30カ国の原型は、ほとんどが現在の沖縄に残っている地名だと加治木氏は言う。

以下、加治木氏の説をご覧いただこう。


1「狗邪韓国」
この狗邪は「クジヤ」だが、これに合うのは現在の沖縄市の旧名「コザ」。
これは漢字では「古謝」と書くが、本当の発音は「クジヤ」でピッタリ一致する。

2「対馬」
「ツイマ・タイマ」が元の字音である。
今、奈良県にある当麻寺は「タイマ寺」。沖縄では中城村に「当間」がある。

3「一支」
「イキ」=これは現在の壱岐。
与那城(よなぐすく)村に「伊計(いき)」。平良市に「池間(いちま)}がある。

4「末盧」
「マツラ」=沖縄方言では<ラ>を<ダ>と発音する場合がある。
楽(ダク)。油(アンダ)。葛(カズラ=カンダ)。中村(ナカンダ)。
なので「マツラ」は「マツダ」と変わる。
宜野座(ぎぬざ)市に「松田」がる。

5「伊都」
「イツ」=「糸満市=伊都国(イツマ)ン(の)への当て字。

6「奴」
「ナ」=那覇市=奴国は「ナマ」。マ=馬=バ。
那覇は、初めは「ナバ」への当て字だったものが、「ナハ」と清音に変わったことになる。

7「不弥」
「フメ・フミ」=これは『倭人章』では「久留米」。
中国人は「漢」を「ハン」と発音する。
<カ>行<ハ>行に発音するから「クルメ」を「フーメ」と聞いたのである。
沖縄では「久米(くめ)島」。「古見(くみ)」竹富町。「来間(くるま)」下地村」。

8「投馬」
「トウマ」=「当間」。
「桃原(とうばる)」も「投馬トウバ・国ラ」である。
この重箱読みの地名は、那覇市、西原市、沖縄市、国頭(くにがみ)村、与那城村にある。

9「邪馬臺」
「山田」が名護市と恩納市にあるが「ジャムディ」に合うものはない。

10「邪馬壹」
この当て字に合う「ヤマンチ」は「山内」で、沖縄市にある。
 
11「斯馬」
「シマ」=「島尻(しまじり)」が島尻郡、平良市、仲里村、伊平屋(いひや)村にある。

12「己百支」
「キモチ」と読めば「久茂地」が那覇市にある。

13「伊邪」
「イサ・イセ」=「伊佐」宜野湾市。「伊是名村」。

14「都支」
「トキ」=「渡喜仁(ときじん)」今帰仁(なきじん)村。「渡慶次(とけじ)」読谷(ゆんだん)村。

15「弥奴」
「ミナ」=「水納」多良間島。

16「好右都」
「コウツ」=「古宇利」今帰仁村。「高離(古名)今の宮城」与那城村。

17「不呼」
「フコ=フク」=「福地」糸満市。「福里」城辺町(宮古)。

18「姐奴」
「チナ」=「知名」「知念」知念村。

19「対蘇」
「トウソ」。
「豊見城」は(南九州方言)では「トミゾ」と発言する。
豊見(とみ)城村。

20「蘇奴」
「ソナ・スナ」=「砂辺」北谷村。

21「呼邑」
「ゴヤゥ」=「胡屋(ごや)」沖縄市。

22「華奴蘇奴」
ぴったりのものはないが「仲宗根」は南九州方言なら「ナカンソン」と発音することも可能である。
この方言は語頭の「ナ」が聞きとりにくいから、「カンソン」だけに「華奴蘇奴」と当て字された可能性もあ  る。
無関係と切り捨てるのは間違いである。
「仲宗根」は平良市。沖縄市。今帰仁村に分布。

23「鬼」
「知花」沖縄市。
これは「キ=チ。バ=マ=国。ナ=国」とみると、マとナの二つの「国」の呼び方が重なっているのがみられる。
こうした実例はこの地方でたくさんみられる。
これは別の呼び方をもった人々が、次々に移住してきて前の国名の意味が分からないまま、自分たちの呼び方  の「国」を、くっつけていった痕跡である(例、慶+国ラ=キラ。+国マ=キラマ。+之国シマ=キラマシマ=慶良間島)。

24「為吾」
これは後世「為イ吾ワレ」=「イワレ」と読まれた地名の原型である。
「伊波」石川市。「伊覇」東風平(くちんだ)村。「伊原」佐敷村。

25「鬼奴」
「キナ・チナ」=「喜名」読谷村。「知名」知念村。「宜名真(ぎなま)」国頭村

26「邪馬」
「ザマ」=「座間見」村。

27「躬臣」
「カンジン」と読むと「兼次(カニジ)=今帰仁村」が近いがキュンジンと読むと「今(キン)帰仁村」の方が近くなる。
「今帰仁」の今の発音は「ナキジン」。

28「巴利」
「ハリ」=沖縄の三母音語はマレー語の影響がたくさんみられるから、「ハリ=日」とみると、「平=ヒラ=日国」で「平良」市のことになる。

29「支惟」
「キイ・チヂワ」=沖縄の古名は「キヌ・チヌ」で、それが後に「紀」や「紀伊」と書かれた。
これは広く沖縄を指しているが、これは漢・魏時代の上古音で読むと「チヂワ=千々石=長崎県大村湾の古名」に一致する。
沖縄の「喜舎場(チジャバ)」は鹿児島市の「騎射場」とともに「チヂハ=チヂワ」と同じものへの沖縄型当て字で、それらのルーツに当たる。

30「烏奴」
「恩納(ウンナ)」がよく合うが、「宇根」仲里村。「宇良」国頭村なども同じ仲間である。
これを「ウド」と読むと「大度」糸満市。「大堂」本部町などが合う。








続く



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謎の神武東征㊳ 脱解王記検証 ②

前書き:久々の更新&「謎の神武東征シリーズ」ですm(_ _)m



『これは始祖・赫居世の在位三十九年のことである』

これはそのままの意味である。

『その時、海辺の老婆が(船を)縄で引き寄せて海岸に繋留させた。これを開けて見ると、一人の童児が中にいた。その老婆はこれを拾得して養育した』

これは「海」を「川」に、「船(卵)」を「桃」に置き換えると、「老婆が川で大きな桃を拾い、開けてみると中から一人の男の子が生まれた」とする「桃太郎」と同じ物語になる。

『成長すると身長九尺、風貌は秀逸で明朗、智識は人に優れていた』

これに関しては、開聞岳の西に古くから「頴娃(エイ)」と呼ばれた地域がある。

「頴」は「優れる」との意味で、「娃」は「美しい」「子供」などの意味があるから、「頴娃=優れた美しい子供」との意味で、これは『風貌は秀逸で明朗、智識は人に優れていた』とする「脱解王」の記事に一致した地名という事になる。

ある人の曰く「この児の氏素性は分からないが、流れ着いた時に一羽の鵲(カササギ)が飛来し、鳴きながら随伴したので、この鵲の字を省略して、昔を姓とした。また、箱を解いて出てきたのだから、脱解と名付ける』

これについては少なくとも「アメノヒボコ」が「天の昔氏」と呼ばれていた当時から「昔姓」用いているはずなので、鵲云々の話は後付けだと分かる。

もっと詳しく説明するなら、脱解の父王は「女国=恩納村」の王女を娶ったのだから、父王の国は沖縄の近くにあったはずである。

となると父王の国は「琉球=リュウキュウ=リュウギュウ=リュウグウ=竜宮」であった可能性も捨てきれない。

また種子島の南西にある屋久島は、古代「邪久」と書いた。

これもそのまま読めば「ジャク=昔」だから、昔氏の領地なのだ。


そして『新羅本紀』にはこの記述に続いて以下の記事がある。

『脱解は初め、漁釣りを生業と為し、その母を供養し、未だかつて懈怠の様子はなかった』

これもどことなく「海幸」や、「漁師をして両親を養っていた」と言われる「浦島太郎」を連想させる記事だ。




続く




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謎の神武東征㊲ 脱解王記検証 ①

『脱解、本来は多婆那国で生まれた。その国は倭国の東北一千里に在る』

これに関してはすでに検証が済んでいる。

『初め、その国王は女国の王女を娶って妻とした』

「多婆那国=龍城国の龍王は、女国の王女を妻とした」との意味だが、女性しか居ない国など存在しないから、この「女国」は、「女=オンナ=恩納」で沖縄の「恩納村=オンナソン」ではなかろうか。

『懐妊から七年、大きな卵を産んだが、王は「人にして卵を生むのは不祥である。適当に廃棄せよ」と言った』

胎児が七年も母親の胎内に居る事は通常有り得ないから、これは「国王の妻となって七年目に懐妊した」とする方が自然だ。

しかし生まれたのは「大きな卵」だったため、国王はこれを不吉だとして破棄するように命じたと言う。

これは高句麗の始祖・朱蒙が同じく卵生で、「王は卵を犬や豚の傍に捨てさせた」とする記述と共通している。

『その王女は忍び難く、絹布に卵を包み、宝物と一緒に棺(ひつぎ)の中に安置し、海に浮べ、その行く先を(潮流に)任せた』

これは『古事記』において国産みの際、イザナギ(伊耶那岐命)とイザナミ(伊耶那美命)との間に生まれた最初の神である蛭子(ヒルコ)が、葦の舟に入れられてオノゴロ島から流されてしまう神話にそっくりである。

その「蛭子(ヒルコ)」も骨のない奇形であり、不祥とされた事も一致する。

『初めは金官国の海辺に着いたが、金官人はこれを怪しんで取得せず。また、辰韓の阿珍浦海岸に漂着した』

この「金官国」は「ソナカシチ=ツヌガアラシト=仲哀天皇」の出身地とされている「意富加羅国=倭トカラ国」の事だから、「トカラ列島」。

トカラ列島の人々は、流れ着いた船を怪しがって拾わず、船はまた潮流に流されて「辰韓の阿珍浦海岸」に漂着した。

この「阿珍浦」は「辰韓の」と注釈があるから、「古代朝鮮の辰韓」と思われてきたが、「阿珍浦=アチンウラ」だとするとこれは「アチの浦」と読め、「チ=キ」だと考えると「アキの浦」だ。

となるとこれは「アキ=安芸=開き=ヒラキ=開聞」の事で、鹿児島新羅があった場所であり、「昔氏が倭の但馬(タジマ=多児国)から渡ってきて新羅王となった」とする伝承と一致するではないか!

残る問題は「辰韓の阿珍浦海岸」とする記述だが、「辰韓=タツガラ=龍ヶ国」だとすればこれは「龍城国」の事であり、脱解が新羅王となった後で、自分の出身国である「龍城国」を新たに国名としたと見るべきだ。

以上から「辰韓の阿珍浦海岸」は「龍ヶ国の開聞の浦の海岸」を指していると見ていい。

これを裏付けるように、開聞地区を南に行った鹿児島県薩摩半島の最南端である長崎鼻には、「竜宮神社」が存在している。

また開聞町川尻には、「蛭子地区」が存在する。

「蛭子」は先に説明した様に、脱解王と同じく海に流された、イザナギ(伊耶那岐命)とイザナミ(伊耶那美命)の子だ。

鹿児島新羅のあった開聞地区に、ともに親によって海に流された「脱解王」と「蛭子」に関連する地名が残っているとすれば、この2つの物語は元々同じものであった可能性が高いと言える。





続く

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謎の神武東征㉞ 「山幸伝説」と「おとぎ話」の共通点

ところで『三国遺事』には、先に見た「新羅・脱解王」について以下の記事が掲載されている。

「私は本来は龍城国の人(または正明国という。あるいは琓夏国、琓夏、あるいは花廈国ともする。龍城は倭の東北一千里に在る)。我が国ではかつて二十八人の龍王が人の胎内から生まれ、自ら五~六歳で王位を継承し、万民に正しい生き方を修めさせた。而して八品の貴姓があるが、競い合うことなく、皆が王位に登った」

何と、新羅の「脱解王」は龍王の治める「龍城国の人」だと言う。

先に見た朝鮮の正史である『三国史記』は「脱解、本来は多婆那国の生まれ」とし、多婆那国は「倭国の東北一千里に在る」と、地理的条件も龍城国と一致しているのだから、「多婆那国=龍城国」だ。

この「龍城は倭の東北一千里に在る」との注釈は、先に見た屋久島と種子島の位置関係に一致し、「脱解王」は種子島を領有した「昔氏の王」なのだから、やはり「龍城国=多婆那国」が種子島にあった事は疑いない。

そしてこの「龍城国」こそ、「山幸=ホオリ=神武天皇」が訪れた「綿津見神の宮殿」、すなわち「竜宮」ではなかったのだろうか。

また「ホオリはそこでで三年間暮した」とあるが、これも「神武天皇」が「吉備国に入り、高島宮の行宮をつくって三年又は八年滞在して船と兵糧を蓄えた」とする記事と一致する。

何より、この「山幸が綿津見神の宮殿に行く」件は、私たちが「浦島太郎」として知っている物語とそっくりである。

「浦島太郎」は助けた亀に乗って竜宮を行き来するが、これは神武天皇たちが速吸門(ソキウのト)に差し掛かった時、亀の甲羅に乗って釣りをしながらやって来た、「椎根津彦(シイネツヒコ)」を連想させる。

何より「海幸山幸」と「浦島太郎」の重要なモチーフは、以下の通り全部一致している。

1 主人公は海へ釣りに行く。

2 海を渡る。

3 海の向こうの不思議な国へ行く。

4 美しい宮殿に迎えられる。

5 結婚する。

6 相手はその国の王の美しい姫。

7 しかしその正体は人間ではない。

8 それは神に近い霊的な生物。

9 竜も亀も海に住む霊的な爬虫。

10 不思議な楽しい結婚生活を送る。

11 その期間は3年間。

12 夫は故郷に帰りたくなる。

13 贈り物をもらう。

14 それは「玉」の名の付く宝である。

15 妻が夫に何かを禁止する。

16 夫は「守る」と約束する。

17 夫のホームシックは重症化。

18 夫は故郷に帰る。


また『記・紀』にある「海幸・山幸物語」には、山幸の妻(トヨタマヒメ)が「出産の様子を見るな」と止めたのに、山幸がのぞき見すると、妻は竜(古事記では八尋鰐)になっていたと言う。

正体を見られたトヨタマヒメは夫の山幸と離婚し、皇子を「真床覆衾(マトコオウフスマ)」に包んで渚において帰るが、これも「鶴の恩返し」と似たような内容だ。

またこれは、浦島太郎が乙姫から「玉手箱を開けてはならない」と言われたが、結局開けてしまった内容と相通じる。

よって、以下の2つも一致することとなる。


19 夫は妻の禁止を忘れて約束を破る。

20 そのため二人は永遠に別れてしまう。





続く

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謎の神武東征㉝ 「海幸山幸の伝承」

「ホオリ」が「神武天皇」であり、「位宮」「伊支馬」と同一人物である事は分かったが、ここで「ホオリ」が登場する「海幸山幸」の伝承を見てみる事にしよう。


兄のホデリは海佐知毘古(うみさちびこ)として大小の魚をとり、弟のホオリは山佐知毘古(やまさちびこ)として大小の獣をとっていた。

ある時ホオリは兄のホデリに、それぞれの道具を交換してみることを提案し、ホデリは三度断ったが、少しの間だけ交換することにした。

ホオリは兄の釣針で魚を釣ろうとしたが1匹も釣れず、しかもその釣針を海の中になくしてしまった。

兄のホデリも獲物ることができず、「山の幸も海の幸も、自分の道具でなくては得られない」と言って自分の道具を返してもらおうとした。

ホオリが釣針をなくしてしまったことを告げると、ホデリはホオリを責め取り立てた。

ホオリは自分の十拳劔から1000の釣針を作ったが、ホデリは「やはり元の釣針が欲しい」として受け取ろうとしなかった。

ホオリが海辺で泣き悲しんでいると、そこに塩椎神(しおつちのかみ。潮流の神)がやって来て、ホオリが事情を話すと、塩椎神は小船を作ってホオリを乗せ、綿津見神(海神・わたつみ)の宮殿へ行くように言った。

教えられた通り綿津見神の宮殿へ行き、そこで待っていると、海神の娘のトヨタマヒメの侍女が水を汲みに外に出て来た。

ホオリが水が欲しいと求めたので、侍女は水を汲み器に入れてホオリに差し上げると、ホオリは水を飲まずに首にかけていた玉を口に含んでその器に吐き入れた。

すると玉が器にくっついて離れなくなったので、侍女は玉のついた器をトヨタマヒメに差し上げて、事情を話した。

不思議に思って外に出てみたトヨタマヒメは、ホオリを見て一目惚れした。

父である海神も外に出て、そこにいるのが天孫ニニギの子の虚空津日高(そらつひこ・ホオリの尊称)であると言い、すぐに娘のトヨタマヒメと結婚させた。

こうして、海神の元で三年間暮したが、 三年間たって、ホオリはここに来た理由を思い出し、深い溜息をついた。

海神が溜息の理由を問うたので、ホオリはここに来た事情を話した。

海神は魚たちを呼び集め、釣針を持っている者はいないか問うと、赤鯛の喉に引っかかっていることがわかった。

海神は釣針と鹽盈珠(しおみちのたま)・鹽乾珠(しおひのたま)をホオリに差し出し、「この釣針を兄に返す時、『この針は、おぼ針、すす針、貧針、うる針(憂鬱になる針、心が落ち着かなくなる針、貧しくなる針、愚かになる針)』と言いながら、手を後に回して渡しなさい。兄が高い土地に田を作ったらあなたは低い土地に、兄が低い土地に田を作ったらあなたは高い土地に田を作りなさい。兄が攻めて来たら鹽盈珠で溺れさせ、苦しんで許しを請うてきたら鹽乾珠で命を助けなさい」と言った。

そして和邇(わに/鮫の事)に乗せて送って差し上げた。その和邇は今は佐比持神(さいもちのかみ)という。

ホオリは海神に言われた通りに釣針を返し、言われた通りに田を作った。

海神が水を掌っているので、兄のホデリの田には水が行き渡らず、ホデリは貧しくなっていった。

さらにホデリが荒々しい心を起こして攻めて来たが、ホオリは塩盈珠を出して溺れさせ、火照命が苦しんで許うと、塩乾珠を出して救った。

これを繰り返して悩み苦しませるとホデリは頭を下げて、ホオリに昼夜お守りすると言った。





続く

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プロフィール

yoshi

Author:yoshi
1977年生まれ。

10歳で「ノストラダムス」本を読み始め、14歳で加治木 義博氏の著書「真説 ノストラダムスの大予言」に出会う。

その後20歳を過ぎてから、生来の「不思議好き」「歴史好き」もあって、加治木氏の著書をもとに独自の考察を加えながら、本格的に「ノストラダムス」「古代日本史」の研究を趣味で始め、現在に至る。

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