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金正恩委員長の異母兄・金正男氏、マレーシアで殺害か?

つい今しがた、北朝鮮の金正恩委員長の異母兄で、故金正日総書記の長男・正男氏が、マレーシアで殺害されたとの速報が流れた。

詳細については不明だが、これは何を意味するのか、考察してみたい。


北朝鮮では今年に入り、秘密警察機関を率いてきた金元弘(キム・ウォノン)国家安全保衛相が解任され、同省の次官クラスを含む幹部多数が処刑されるなど、大規模な粛清が行われた。

おそらくこれは、国家安全保安省と秘密警察による金正恩委員長の暗殺計画、つまり、クーデター未遂があったのではないかと思われる。


これが報じられたのが、2月3日の事だ。

そして今日2月14日に、金正男氏がマレーシアで殺害されたとの報道が流れた。


思うに、この2つの事件はセットなのだろう。

つまり国家安全保安省と秘密警察は、強硬で強権な金正恩委員長を暗殺し、その後で、どちらかといえば穏健な金正男氏を北朝鮮に迎え、トップに据えようとしていたのではないだろうか。

そして金正男氏を傀儡とし、政治・軍事の実権を握るつもりだったのだろう。

それを知った金正恩委員長は、実の兄である金正男氏をマレーシアで暗殺したのだ。


この事件が今後、国際情勢にどう影響するのかは今の時点では分からない。

しかし北朝鮮国内で、金正恩委員長の力が明らかに揺らいでいるのは事実だ。


2月15日追記

外電によると、金正男氏はマレーシアの空港で、北朝鮮の女工作員2名に毒針を打たれて殺害された模様。
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謎の神武東征㊱ 「新羅脱解王」にまつわる謎

「浦島太郎」が「伊支馬」と同一人物だったことは分かった。

では彼を助けた「龍城国」や「龍王」とは何を意味するのだろう。

『三国遺事』には、「龍城国ではかつて二十八人の龍王が人の胎内から生まれ、自ら五~六歳で王位を継承し、万民に正しい生き方を修めさせた」とある。

しかしこの「龍城国」は種子島にあった国で、新羅の「アメノヒボコ(天の昔氏)」によって攻め取られた、倭国連邦の「多児国(タジマ)」であったはずだ。

そして昔氏の王である「脱解王」の以前に「二十八人の龍王がいた」のだから、「種子島の龍城国を二十八人の龍王が代々治めた」のではなく、「二十八人の龍王が代々領土を拡大し、脱解王の代には龍城国の中心が種子島に置かれていた」と見るべきである。

となると「昔氏の王」は代々「龍王」を名乗っていたことになり、「アメノヒボコ」もその「二十八人の龍王のひとり」と言える。


ところでこの「脱解王」には、『三国史記・新羅本紀』に以下の神話がある。

『脱解、本来は多婆那国で生まれた。その国は倭国の東北一千里に在る。
初め、その国王は女国の王女を娶って妻とした。懐妊から七年、大きな卵を産んだが、王は「人にして卵を生むのは不祥である。適当に廃棄せよ」と言った。
その王女は忍び難く、絹布に卵を包み、宝物と一緒に棺(ひつぎ)の中に安置し、海に浮べ、その行く先任を(潮流に)任せた。
初めは金官国の海辺に着いたが、金官人はこれを怪しんで取得せず。
また、辰韓の阿珍浦海岸に漂着した。これは始祖・赫居世の在位三十九年のことである。
その時、海辺の老婆が(船を)縄で引き寄せて海岸に繋留させた。これを開けて見ると、一人の童児が中にいた。その老婆はこれを拾得して養育した。
成長すると身長九尺、風貌は秀逸で明朗、智識は人に優れていた。
ある人の曰く「この児の氏素性は分からないが、流れ着いた時に一羽の鵲(カササギ)が飛来し、鳴きながら随伴したので、この鵲の字を省略して、昔を姓とした。また、箱を解いて出てきたのだから、脱解と名付ける』


「脱解王」は卵から生まれ、海に流された後に老婆に拾われて育てられたのだという。

「卵から生まれる」とは、高句麗の始祖「朱蒙」や新羅の始祖「赫居世」にも見られる話だが、この伝承、どこか「桃太郎」を想像させないだろうか?

次回はこの伝承を詳しく検証してみたい。




続く






謎の神武東征㉟ 浦島太郎は「大国の伊支馬大王」

「浦島太郎」と「海幸山幸」の2つの物語には、非常に多くの共通点を持ち、「ホオリ(山幸)」も「浦島太郎」も共に竜宮に行った人物であるから、両者は同一人物と考えてもおかしくはない。

しかしなぜ「ホオリ」は「浦島太郎」と呼ばれるようになったのだろう?

これは「浦島太郎」の作者が、「海幸山幸」の神話を内容をかいつまんで脚色した際に、主人公に「浦島太郎」との名をつけたとも考えられる。

しかしこの「浦島太郎」との名乗りには、実は重大な秘密が隠されていたのだ。

まず「浦」は「大=ウ・国=ラ」と当て字できる。

そして私たちは「ホオリ」「神武天皇」「位宮」「伊支馬」などが全て同一人物だったことを知っているから、「島=シマ」は「伊支馬=イシマ」の「伊=イ」が抜けたものだと考えると、「浦島=ウラシマ=ウラィシマ=大国伊支馬」だ。

さらに「太郎=タロウ」の戦前までの読み仮名表記は「タラウ」で、これも「大=タ・国=ラ・王=ウ」と当て字できるから…

何と!「浦島太郎」は、実は「大国の伊支馬大王」との意味だったのだ!

やはり「ホオリ」は「伊支馬」として「竜宮」のある「多婆那国=龍城国=種子島」を訪れており、後に彼は「大国の伊支馬大王」を意味する「ウラィシマ・タラウ=浦島太郎」と呼ばれたのだ!





続く

謎の神武東征⑱ 『マラヤ編年記』から読み解く、意外な事実①

これで『マラヤ編年記』の記事が、「ソナカ宣布団」がマレーシアに上陸した時の話であることが分かった。

しかしこの『マラヤ編年記』の記事には、よくよく見るともっとすごい事実が隠されている。


2人のお婆さんが住んでいたのが「パレンバンの都・アンデラス」だが、この「アンデラス」は「天照=アマテラス」ととてもよく似た発音だ。

そして「丘が光り輝く」のだから、これは「アンデラス=天照=太陽」の事であるとすれば非常に分かりやすい。

また、その丘が光り輝いたのが「夜」なのだから、「夜=暗い」とすると「アンデラス=暗照らす」であり、「夜の暗闇を太陽のように照らした」とする記述とぴったり一致する。

我が国の神話の「天照大神」のルーツが、こんな所にもあった事になる。

この「天照大神」に関して鎌倉時代の「日蓮聖人」は、「天照大神と八幡大菩薩とは、教主・釈尊(お釈迦様=釈迦仏)が日本を仏教国にするために生まれ変わったものだ」と言っているのだ。

「天照大神」は言わずと知れた「我が国の皇室の祖神」であり、「八幡大菩薩」は、現在全国の八幡宮に祀られている神で、『記紀』によると仲哀天皇と神功皇后の子で、第15代の応神天皇の事である。

なんとここにも、「仲哀天皇=ソナカヒコ」の名が出てくるではないか。

そして『マラヤ編年記』の記事は、「ソナカ宣布団」がマレーシアに上陸した時の話であることは検証済みなので、「アンデラス=天照らす」も「ソナカ宣布団」によって日本に持ち込まれた可能性が高い。

となると本来の「天照」とは、「黄金に光り輝き、衆生(人々)の諸々の闇を照らす存在」であり、それはすなわち「仏」であったのだ。

では「八幡大菩薩=応神天皇」はどうだろうか。

皇祖15代・応神天皇はその死にあたり、「正しい行いをする百人の国王(天皇)と仏教を守護する神となる」と遺言したという。

応神天皇は「宋書」に登場する「倭の五王」の前の倭王であるが、その遺言と「八幡大菩薩」という神号から見るに、「倭国は仏教国であり神道国家ではなかった」のだとはっきり分かる。

仮に倭国が神道国家であったならば、「仏教守護」などという事は言わないだろうし、「八幡宮」に祭られているのは「八幡大明神」でなくてはおかしい。

だが通説では、八幡大菩薩は元々「八幡神」と呼ばれていたのが、東大寺の大仏を建造中の天平勝宝元年(749年)、宇佐八幡の禰宜の尼が上京し、「八幡神より大仏建造に協力するとの託宣があった」と伝えたため、朝廷は天応元年(781年)、宇佐八幡に鎮護国家・仏教守護の神として八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)の神号を贈ったとされている。

しかしその「八幡宮の発祥」については次の伝承があるのだ。

『欽明天皇32年に、奈良県の三輪山に所在する大神神社の宮司の身狭の子供「大神比義」が、3年間断食をして祈った。

すると鍛冶翁が豊前の国の菱形池の辺に3歳の童子の姿となって現れた。

そして竹葉の上に立ち、

「我は、誉田別(ホムタワケ=応神)天皇広幡八幡麻呂の神なり。我をば護国霊験威力神通大自在王菩薩(ごこく・れいけん・いりき・じんつう・だいじざいおう・ぼさつ)と申す」

と名乗った。(宇佐宮託宣集、八幡愚童訓など)』


この記述にある欽明天皇とは第29代天皇であり、聖武天皇の16代前である。

そして欽明天皇の32年は『記紀』の記録を逆算すると西暦571年で、「大仏建造に協力するとの託宣があった」とされる、749年にさかのぼること180年以上前だ。

この伝承をすべて鵜呑みにするかはさておき、大仏造営の180年以上前に、「神」と名乗った応神天皇が自らすでに「菩薩号」を称しているのである。

これは朝廷より「菩薩号」を賜ったとされる以前から、応神天皇は「八幡神」ではなく「八幡大菩薩」だった証拠だ。

その後に八幡大菩薩は「武運の神」「弓矢の神」として、源氏をはじめ全国の武士から崇敬を集めたが、この神を拝む時だけは、『平家物語』の『扇の的』で那須与一が言っているように、「この矢、外させ給うな。南無八幡大菩薩」と、やはり仏式なのである。


また応神天皇の誕生伝説によれば、「天皇が生まれた時にそれを祝福して天から八本の幡(ハタ)が降ってきて産室を蔽った」とあり、この伝説から「応神天皇=八幡様」となったという。

ここで言う「天」とは「チヌ=チン=天」で「大天=ウチヌ=沖縄」の事。

応神天皇の誕生を祝って沖縄の大天から八本の旗が贈られ、その旗で産屋を覆ったとの意味だ。

また幡とは、仏教の場合、梵語の「パタカ」のことを指し、仏・菩薩の威徳を示す荘厳具を言う。

仏を祈る時には、その徳を表す旗を左右に飾るしきたりが古くからあり、阿弥陀如来に参る時も八本の幡を立てるのが決まりであるから、これは応神天皇の時代にすでに仏教が存在したという証拠であり、その仏の徳を表す八本の幡を贈られた応神天皇は、「仏の生まれ変わり」とされたのだ。


この検証の結果、「天照」とは本来「仏」であり、「八幡大菩薩」も「仏の生まれ変わり」とされた「仏教王」であることが分かった。

日蓮聖人の言う、「天照大神と八幡大菩薩とは、教主・釈尊(仏)の生まれ変わり」は、正しい事実を伝えていたのである。







続く





謎の神武東征⑪ 「高砂」から読み取る当時の倭国の領土

ところで岡山県の牛窓にはこんな神功皇后伝説があるという。

羽曳野市誉田(こんだ)八幡宮所蔵の【神功皇后縁起絵巻】によると、

『神宮皇后が備後の泊まりに着いた時、長十丈(30㍍)ほどの大きな牛(牛鬼)が沖のほうより出現し、皇后の乗った船を壊そうとした。

その時に老翁(住吉大神の化身)が牛の二つの角をつかんで海中へ投げ入れた。

この牛は海中に没し、やがて島となって現在に至る。

よってこの場所を「牛まど」と呼んで、文字には「牛(転)まろばし」と書いた(趣意)』
とある。

「牛鬼」は「ウシキ」と読めるから、「ウシキアリシチ」の「ウシキ」に通じ、神功皇后の夫であった「仲哀天皇=ソナカヒコ=ツノガアルヒト」の別名を指している。

そして「仲哀天皇8年」の記事と同じく、「牛鬼=ウシキアリシチ=仲哀天皇」を葬り去ったのは「住吉大神」である。

しかしなぜ仲哀天皇は、自分の妃である神功皇后の船を襲おうとしたのか?

この「牛窓の伝承」を踏まえて「仲哀天皇8年」の記事を復元をしてみると、以下の事が分かる。

『仲哀天皇8年、仲哀天皇は、神懸かりした神功皇后から、「西海の宝の国を与える」との住吉大神の神託を受けた。

しかし熊襲征伐を優先したい仲哀天皇はこの神託を信じず、敢えて住吉大神の神託を信じて出航しようとする皇后の船団を妨害し、住吉大神を非難した。

しかしその直後、仲哀天皇は急死してしまい、人々は「住吉大神の祟りだ」と噂した』


これが「牛窓の神功皇后伝説」の真意だったのではないだろうか。


また、牛鬼を海中に沈めた「老翁」は「住吉大神の化身」とされているが、同じく住吉大神が老翁の姿となって現れるのが『謡曲・高砂(たかさご)』である。

この謡曲は現在でも「お目出度い歌」として結婚式などでよく歌われるので、ご存知の方も多かろう。

そのあらすじは、肥後(熊本県)の住人の一人の神官が、高砂の浦で老人夫婦に出会って、高砂の松と住吉の松とが、なぜ相生の松といわれるのか、その由来を教えられるものだ。

そこで神官は有名な、「高砂や、この浦船に帆をあげて……」という謡の通りに高砂の浦から船出して、住吉の浦に「早や、住吉に着きにけり」と到着すると、高砂の浦で出会った老翁が住吉大神となって現われ、美しい月光を浴びながら、太平の世を祝う舞を舞って次第に消えていくという、大層夢幻的で優雅なものだ。

しかし詳細に、この『高砂』を分析してみると、「高砂」は現在の兵庫県高砂市のことだと思われているが、「高砂」を「タカズナ」と読むと、これは「タカ=高」「ズ=ヅ=津」「ナ=国」で、「高津国」となる。

一方、住吉大神が神功皇后に与えると言った「宝の国」は、古来、朝鮮新羅の事とされてきたが、「タカラ」は「タカ=高」「ラ=国」であり、「津」は「~の」という助詞だから、「ノ=ツ=津」で、「タカラノクニ=高国津国」となる。

これは「高国津国」の方が「国」が一文字多いが、重複している国の字をひとつ削ると「高津国」となり、二つは同じ国だった事が分かる。

また古来、「高砂」は「台湾」の別称としても知られているし、この「タカラ」が「トカラ」の訛ったものだとすると、これは現在のトカラ列島の事で、「ツノガアルヒト」の本国である「意富加羅=倭・吐喝喇」と同じであった事がはっきりとする。

事実、「高国津国」を「タカラヅマ」と発音したものが訛った「宝島(=宝之国=タカラジマ)」が、トカラ列島には存在することからも明らかだ。

そして「高良=タカラ」と呼ばれる地名は、沖縄本島などにも見ることができるが、これは「タカラ=高国」で、「高津国」は「高の国」との意味だから、「高国=高の国=高津国」だ。

つまりこの台湾からトカラ列島を含む南西諸島が、「ソナカヒコ=仲哀天皇」当時、ソナカ王が支配していた倭人(ウワイト)の領土であり、さらに「翁国」と書けば「オキナマ=沖縄」だから、その首都はやはり、「ウチナ=大天」と呼ばれた沖縄にあって、それらは「宝の国=高津国=高砂」と総称されていたのだ

これはどう言う事かと言うと、住吉大神の「タカラの国を与える」との神託とは、「高砂=台湾」「翁国=沖縄」「宝の国=トカラ列島」を与えるとの意味だったのである。











続く
プロフィール

yoshi

Author:yoshi
1977年生まれ。

10歳で「ノストラダムス」本を読み始め、14歳で加治木 義博氏の著書「真説 ノストラダムスの大予言」に出会う。

その後20歳を過ぎてから、生来の「不思議好き」「歴史好き」もあって、加治木氏の著書をもとに独自の考察を加えながら、本格的に「ノストラダムス」「古代日本史」の研究を趣味で始め、現在に至る。

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